自己紹介

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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2013年9月18日水曜日

黒糖の色

今夜もきもちい風が吹いている。
家中の窓が開いてるので、四方八方から心地よい風。秋だな。そして、冬が来る。。。
日本に帰ってきてから、初の投稿。時差ぼけやなんやかんやでどうもブログまで手が届かなかった。



大学時代、校内のラジオDJをやっていたことがある。すごく小さな大学だったので、リスナーはわずかだったと思うけど、友人とお気に入りのヒップホップの曲をセレクトしては語り合っていた。こちらに帰ってきて、家の掃除をしながら、昔聞いていた曲に耳を傾けていた。

久しぶりに聞いたBlack Starの曲「Brown Skin Lady」
この曲はその名の通り肌の茶色い女性に捧げた曲。
アメリカでは奴隷制度にはじまり、何百年もの間、肌の色を理由に、アフリカにルーツを持つ多くの人々が人間以下の扱いを受け、50年前までは人種隔離政策が合法な状態だった。その環境の下で自らの容姿やルーツに誇りをもち、自尊心を保つことは不可能に近かったと考えても良い。そのような中でも1700年代後半からの奴隷解放運動やキング牧師を中心とした公民権運動、1970年代のブラックパンサー党など、いわゆるアフリカ系アメリカ人の権利運動は様々な形で行われた。

しかし、いまだにアジアであれ、ラテンアメリカであれ、アフリカであれ、特に女性は肌が「白い」方が美しいという観念は雑誌や映画などで広く宣伝されている。

こんなことを考えはじめたのも、カネボウの「美白クリーム」を使った何千人もの女性が皮膚に深刻な症状が表われたというニュースを聞いてだ。肌や皮膚は言うまでもなく、人それぞれで、ケアの仕方もいろいろだと思う。
しかし、この「美白」という概念は既に時代にそぐわない。特に美意識に敏感な女の子にとって、「白」とは縁遠い肌の色をしていたら、白いことが美しいとされる社会の中にいればそれはいつしか窮屈な社会になっていくだろうし、本来いろいろな形がある「美」という概念を固定化してしまうことも望ましいとは思えない。常に多様化していく世界において、多数の常識や価値観が少数にどのような影響を与えているかを意識できる社会こそ成熟した社会だと思う。

以前、幼稚園で教えている時に茶色い肌をしたぼくが「肌色」という色に違和感を感じる話をしたら、園児の皆がすんなり理解してくれたことを思い出す。

各地域や国でうまれた美意識や美的感覚はきっと存在すると思う。しかし、どの社会にも少数と呼ばれる人々がいて、みなが心地よく生きていける社会こそ価値があると思う。

黒糖色のぼくの娘も自身の美を疑うことなくたくましく生きていける社会を創っていきたい。










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