久しぶりに静岡に帰ってきている。そう、わたしは静岡の天竜というところの出身。生まれたのは「懐山」という集落。幼いころはこの場所しか知らず、ここがわたしの現実だった。時に家族でアメリカに行ったりもしたが、天竜が自らの現実であるような形ではニューヨークもサンフランシスコも存在していなかった。
朝、散歩していると家は多くなっている割には子供が少ない。わたしが子供の頃は田舎とはいえ、子供もいっぱいいて子供たちの自立した世界があった。森の中に基地をつくり、猿を追いかけ、ボールを蹴った。
友達はほとんど街に出ているが、残された母親たち、父親たちは寂しげな目で「マリオくん、元気け?かわらんじゃん」と。
時折、子供たちにもすれ違う。痩せた背の高いおじさんに目を丸くして「お、おはようございます」。紫外線で黒くなってしまう私の眼鏡にびっくりしているのだろう。。。「おじさんもつい最近まではあんたらみたいに、ここらで遊んでただに」
ここ天竜は懐かしい記憶の蘇る場所。
「懐かしい未来」という言葉がある。
それは、きっと自分をどこか安心させてくれる場所。懐かしさとは過ぎ去った事柄においてつかわれるが、未来に懐かしさを想うことやはじめて会った人に懐かしさを感じることは、心の安らぎと繋がるところがあるのだと思う。
冬も終わり、春がはじまる。
今年はどんな芽がでて、どんな花を咲かせるのだろう。
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