先日久しぶりにテレビを観てショックを受けた。
尖閣諸島を日本が国有化し中国でデモが起きていることは知っていたが、テレビの報道の仕方には呆れ返ってしまった。
中国の海軍がどれくらいの勢力を持っていて、日本の海上自衛隊がそれに比べて船の数が少ないとか。。。でも、日本にはイージス艦があるから大丈夫だとか。。。
この人達は一体何を考えてこのような報道をしているのだろう。
911〜イラク戦争(攻撃)勃発までのアメリカを思い出す。当時のアメリカメディアはCGを使い米軍戦闘機がどこから飛び立ち、イラクのどの街を爆撃したのかを興奮したアナウンサーが声を張り上げ伝えていた。「正義感と愛国心」(本当は恐怖と憎しみ)にかられた男達は街にくり出ては中東系の住民を襲撃した。これが事実。
報道に煽られそうになったら、一旦テレビを消そう。
落ち着いた心を取り戻し、子どもたちの笑顔を思い浮かべてみよう。
私たちは歴史から何を学び、どのような未来を描いていきたいのか。
国家の名の下に立ち上がる必要はもうない。
「真の文明、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
(田中正造)
2012年も終わりに近づく中で、様々な課題がわたし達の目の前にある。
しかし、課題が存在するということは今の状況に変化が必要だということ。言い換えれば成長のチャンス。
そんな中、10月5日〜8日に行われる「RAINBOW ASO 2012」で以下の集いが開かれます。
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日本が、世界が大きく揺さぶられていることをみんなが感じていることと思います。
どんな情報を得て、どのように受けとめて、自分なりの判断をしていったらいいのでしょうか。みんなでシェアでしたいと思います (by Oto)
Vision Quest ~よみがえる文明~
期日:2012年10月7日
場所:アスペクタ会場内「Studio3」
第一部:10時00分~12時30分
映像『Beyond The Dance』『プロジェクトFUKUSHIMA』他
第二部:13時30分~15時00分
お話:正木高志『global people cultureの誕生』
第三部:15時15分~17時00分
寄り合い『Vision Quest』
* * * * *
夜の部:21時00分~22時00分
映画『トランジションタウン2.0』
制作:JayMa TV
自己紹介
- Mario Anton
- 豊後高田市, 大分県, Japan
- アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。
2012年9月24日月曜日
2012年9月20日木曜日
〜2012旅〜Los Angeles,6/22-6/26
ロサンゼルスは砂漠だ。
飛行機から街の上空を飛びながらそう感じた。子どもの頃に一度だけ来たことがあるだけで、この街に来るのはほぼ初めて。妹のリラがこちらに引っ越して来たこともあって、引っ越しの手伝いもかねて遊びにきた。
同じ大都市でもLAとNYとでは雰囲気がまったく違う。広大なエリアに広がるLAは、いくつもの街で構成されていて、完全な車社会。空気汚染が深刻である一方、広々としたビーチや高い山など自然も多く残っている。
アメリカ本土の多くの街はネイティブインディアンの名前が使われている。ここロサンゼルスも元々は漁採集生活を営んでいた部族が住んでいたが、後にスペインに寄って征服せれた。よって、西海岸の街はスペイン語が多い。ロサンゼルス、サンフランシスコ、サンディエゴ。。。
年子のリラとは幼稚園から高校まで一緒に過ごし、その後は日本にとりあえず落ち着いてるわたしとニューヨークを拠点にしてきた彼女とは1年に一回会うか会わないかの日々が続いていた。そんなこともあって、今回LAに行けることはすごく楽しみにしていた。
ニューヨークにおいても、LAにおいても一人で一から新しい地にてスタートできる彼女を誇りに思う。末っ子である彼女は家族への想いも人一倍強い。子どもの頃からあまり会うことのなかったニューヨークの従兄弟とのつながりを取り戻したり、早くに亡くした祖母の墓へのお参りを続けたりと。
LAにはもう一人大切な仲間がいる。大学時代を共に過ごしたニック。
私たちが通った大学がある街はミシガン州の中でも最も貧困層が多く住む場所として知られていて、若者の暴力も耐えなかった。そこにある公立高校でカウンセラーとして働いていたのがニックの母。彼女と高校生向けのアイデンティティー教育プログラムをつくったのをきっかけにニックと出会った。
わずかな時間しか過ごせなかったが、皆一生懸命喜びを感じながら生きている。。。
そう感じたLAでの4日間だった。
飛行機から街の上空を飛びながらそう感じた。子どもの頃に一度だけ来たことがあるだけで、この街に来るのはほぼ初めて。妹のリラがこちらに引っ越して来たこともあって、引っ越しの手伝いもかねて遊びにきた。
同じ大都市でもLAとNYとでは雰囲気がまったく違う。広大なエリアに広がるLAは、いくつもの街で構成されていて、完全な車社会。空気汚染が深刻である一方、広々としたビーチや高い山など自然も多く残っている。
アメリカ本土の多くの街はネイティブインディアンの名前が使われている。ここロサンゼルスも元々は漁採集生活を営んでいた部族が住んでいたが、後にスペインに寄って征服せれた。よって、西海岸の街はスペイン語が多い。ロサンゼルス、サンフランシスコ、サンディエゴ。。。
年子のリラとは幼稚園から高校まで一緒に過ごし、その後は日本にとりあえず落ち着いてるわたしとニューヨークを拠点にしてきた彼女とは1年に一回会うか会わないかの日々が続いていた。そんなこともあって、今回LAに行けることはすごく楽しみにしていた。
ニューヨークにおいても、LAにおいても一人で一から新しい地にてスタートできる彼女を誇りに思う。末っ子である彼女は家族への想いも人一倍強い。子どもの頃からあまり会うことのなかったニューヨークの従兄弟とのつながりを取り戻したり、早くに亡くした祖母の墓へのお参りを続けたりと。
LAにはもう一人大切な仲間がいる。大学時代を共に過ごしたニック。
私たちが通った大学がある街はミシガン州の中でも最も貧困層が多く住む場所として知られていて、若者の暴力も耐えなかった。そこにある公立高校でカウンセラーとして働いていたのがニックの母。彼女と高校生向けのアイデンティティー教育プログラムをつくったのをきっかけにニックと出会った。
わずかな時間しか過ごせなかったが、皆一生懸命喜びを感じながら生きている。。。
そう感じたLAでの4日間だった。
2012年9月10日月曜日
〜2012旅〜NEW YORK CITY③, 6/18-6/22
アパートの屋上でトマトをつくる |
空き地をお庭に |
ニューヨークの至るところで果物屋さん |
MusokeとIfe |
自らのルーツを思い起こさせてくれたニューヨークともさようなら。
次はいつ来るのだろう。アメリカという国、特にニューヨークは世界中のあるゆる地とつながった人々がいる。東ヨーロッパ系の父とアフリカ系の母の間に産まれたわたし(父親)と東アジア人の母親を持ち日本や沖縄で育っているわたしの子どもたちは自らのルーツをどう捉え、変わりゆく世界で何を想い感じていくのだろう。
わたち達は国の上に生きているのではなく、大地の上に生きている。
国家間・民族間の争いや領土の奪い合い、私たちが生かされているはずの環境の破壊。
そんなことに人々は本来関心がない。
311がこの列島にとって大きな分岐点になっている今、新たな文化を創っっていけるのはひとりひとりの意志だと思う。
誰かに向けられた笑顔に心が和んだならば、今度は誰かに笑顔をおくろう。
誰かの行動に勇気づけられたのならば、今度は誰かを勇気づけよう。
2012年9月4日火曜日
〜2012旅〜NEW YORK CITY②,6/18-6/22
先日、国東半島の真中心にある両子寺(ふたごじ)に植林した森の下草刈りが行われた。
ちょうど東日本大震災の後に植樹し、1年半が過ぎた。鹿に食べられている苗木もあったが、多くの木がたくましく育っていた。植樹の時にミズナラをやっとこそ植えたうちの宇生(うみ)も今ではお兄ちゃんの風格を見せ始めている。
蝉が鳴いててもおかしくない程に暑いニューヨークの街をひたすら歩く。
マンハッタンは番号の降られたストリート(横)と名前のつけられたアベニュー(縦)とが交差し、ダウンタウンからアップタンンまで縦に広がる島。沖縄に住んでいたわたしから見ればマンハッタンに島の匂いはしないが、そこに別世界があるという意味ではマンハッタンは島だ。
日本で生まれ育ったことで、じいちゃんやばあちゃん、イトコといった親戚が近くにいる感覚をあまり味わったことがない。母方の祖父母、父方の祖父はわたしが産まれる前に他界したが、父方の祖母とは何度か会っていて、あたたかい記憶が心の中にある。
ニューヨークを歩いていると、じいちゃんやばあちゃんのことを考える。自分は彼らから何を継承したのか、今の自分を見て彼らはどう思うか。。。
ビレッジ(ダウンタウン)のボヘミアンカルチャーを絵描きとしてリードしていた父方の祖父ハロルドの所には詩人、物書き、彫刻家と多様な面々が出入りしていた。世界大恐慌を若者として生きていた彼は既存の政治経済の在り方や価値観に絵を通して語りかけた。
下の写真は父方の祖父母。そして、もうひとつ下の写真左からわたしの叔父、祖父、親戚。。。
世界大恐慌はウォール街のパニックではじまり、失業率は大幅にあがり多くの人々が世界経済の中に置かれている自らの位置に憤りを感じ、資本主義社会アメリカでも社会主義革命が懸念された。そんなウォール街のマネーゲームは現在においても終わりを知らず、人口の1%に富が集中し格差社会をより一層際立たせている。そんな中、「We are the 99%!」をスローガンに世界中に広がったOccupy Wall Streetのムーブメントは変化のはじまりを物語っているような気がする。ユニオンスクエアに集まっている彼らと想いを語り合った。3月に仲間達と発行した国東源帰新聞を手に明日を見つめる。
ちょうど東日本大震災の後に植樹し、1年半が過ぎた。鹿に食べられている苗木もあったが、多くの木がたくましく育っていた。植樹の時にミズナラをやっとこそ植えたうちの宇生(うみ)も今ではお兄ちゃんの風格を見せ始めている。
蝉が鳴いててもおかしくない程に暑いニューヨークの街をひたすら歩く。
マンハッタンは番号の降られたストリート(横)と名前のつけられたアベニュー(縦)とが交差し、ダウンタウンからアップタンンまで縦に広がる島。沖縄に住んでいたわたしから見ればマンハッタンに島の匂いはしないが、そこに別世界があるという意味ではマンハッタンは島だ。
日本で生まれ育ったことで、じいちゃんやばあちゃん、イトコといった親戚が近くにいる感覚をあまり味わったことがない。母方の祖父母、父方の祖父はわたしが産まれる前に他界したが、父方の祖母とは何度か会っていて、あたたかい記憶が心の中にある。
ニューヨークを歩いていると、じいちゃんやばあちゃんのことを考える。自分は彼らから何を継承したのか、今の自分を見て彼らはどう思うか。。。
ビレッジ(ダウンタウン)のボヘミアンカルチャーを絵描きとしてリードしていた父方の祖父ハロルドの所には詩人、物書き、彫刻家と多様な面々が出入りしていた。世界大恐慌を若者として生きていた彼は既存の政治経済の在り方や価値観に絵を通して語りかけた。
下の写真は父方の祖父母。そして、もうひとつ下の写真左からわたしの叔父、祖父、親戚。。。
世界大恐慌はウォール街のパニックではじまり、失業率は大幅にあがり多くの人々が世界経済の中に置かれている自らの位置に憤りを感じ、資本主義社会アメリカでも社会主義革命が懸念された。そんなウォール街のマネーゲームは現在においても終わりを知らず、人口の1%に富が集中し格差社会をより一層際立たせている。そんな中、「We are the 99%!」をスローガンに世界中に広がったOccupy Wall Streetのムーブメントは変化のはじまりを物語っているような気がする。ユニオンスクエアに集まっている彼らと想いを語り合った。3月に仲間達と発行した国東源帰新聞を手に明日を見つめる。
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