自己紹介

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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2012年9月20日木曜日

〜2012旅〜Los Angeles,6/22-6/26

ロサンゼルスは砂漠だ。
飛行機から街の上空を飛びながらそう感じた。子どもの頃に一度だけ来たことがあるだけで、この街に来るのはほぼ初めて。妹のリラがこちらに引っ越して来たこともあって、引っ越しの手伝いもかねて遊びにきた。
同じ大都市でもLAとNYとでは雰囲気がまったく違う。広大なエリアに広がるLAは、いくつもの街で構成されていて、完全な車社会。空気汚染が深刻である一方、広々としたビーチや高い山など自然も多く残っている。

アメリカ本土の多くの街はネイティブインディアンの名前が使われている。ここロサンゼルスも元々は漁採集生活を営んでいた部族が住んでいたが、後にスペインに寄って征服せれた。よって、西海岸の街はスペイン語が多い。ロサンゼルス、サンフランシスコ、サンディエゴ。。。

年子のリラとは幼稚園から高校まで一緒に過ごし、その後は日本にとりあえず落ち着いてるわたしとニューヨークを拠点にしてきた彼女とは1年に一回会うか会わないかの日々が続いていた。そんなこともあって、今回LAに行けることはすごく楽しみにしていた。
ニューヨークにおいても、LAにおいても一人で一から新しい地にてスタートできる彼女を誇りに思う。末っ子である彼女は家族への想いも人一倍強い。子どもの頃からあまり会うことのなかったニューヨークの従兄弟とのつながりを取り戻したり、早くに亡くした祖母の墓へのお参りを続けたりと。

LAにはもう一人大切な仲間がいる。大学時代を共に過ごしたニック。
私たちが通った大学がある街はミシガン州の中でも最も貧困層が多く住む場所として知られていて、若者の暴力も耐えなかった。そこにある公立高校でカウンセラーとして働いていたのがニックの母。彼女と高校生向けのアイデンティティー教育プログラムをつくったのをきっかけにニックと出会った。

わずかな時間しか過ごせなかったが、皆一生懸命喜びを感じながら生きている。。。
そう感じたLAでの4日間だった。

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