自己紹介

自分の写真
豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2013年3月31日日曜日

島型民主主義

しばらく、沖縄本島と八重山諸島に行っていた。
昨夜、無事大分に帰ってきた。

今朝はさっそく地区の総会。今年は役員が変わる年なのだが、役員がなかなか決まらず、この集落には前例のないローテション型の役員選出の方法をとることが決められた。
しかし、この方法に異議を唱える人、この方法しかないと訴える人、新しい方法を提案する人。。。皆が腕を組みながらこの小さな集落の未来の在り方を真剣に考えていた。誰もが「時間がない」と走り回っているこのご時世、論議することは無駄だと言わんばかりの空気も多少漂っている。自分はと言えば、「そもそも役員はなぜ必要なのか」といわゆるよそ者にありがちな発想を考えたりしていた。これだけの議論が繰り広げられるのも、やはりこの土地につながる原住民的な、言葉にはし難い思いがあるからなのだろう。




昨日まで沖縄県で沖縄本島に次いで大きい島、西表島にいた。
そこで、金星人と出会った。
金星人と言っても、ただの金星人ではない。
そう、先祖代々西表島で暮らす石垣金星さんだ。
今回の旅においても、西表でいろいろな方を紹介してくださったり、西表の歴史を丁寧に教えて下さったりと、西表のヤマネコに劣らない天然記念物的存在だ。

今回は、金星さんの住む西表島で最も古い集落「祖内」の新年度に向けた役員会の話などを聞かせて頂いた。金星さんいわく、祖内の自治会は役所とは全く関係のない部落会だと言う。物事を決める時は全会一致が原則。一人でも納得のいかない人がいれば、その人の意見を聞き出し、皆で議論する。議論することが完全に文化になっている。そして、役職も必ず推薦されるのだ。立候補はしないのだと言う。そして、推薦の仕方は決して押し付けがましくなく、皆でその人を支援し支え擁立することで推薦される側も気持ちよく胸を張って役職を全うできるのだと言う。

金星さんは祖内地区を「島」と呼ぶ。実際には祖内は西表島の西部に突き出た小さな半島ではあるが、物理的な意味では島ではない。しかし、その言葉通り祖内に行けば島に降り立った時と同じような空気感がそこにある。

時に推薦される人は島の中でも分かれ、小さな派閥のようなものもできると金星さんは楽しげに語った。そうだ、そうだ、政治はこう楽しくなくっちゃいけない。この楽しさはきっと島を守るということにおいては一環して大きなずれがないからこそ生まれるのかもしれない。




尖閣諸島をめぐる中国と日本の関係についても、西表島という場所にいるひとりとして聞いてみた。金星さんはきっぱり言った。あれは日本のものじゃないよ、と。中国のものだと言っているわけではない。国家のものではないということ。
更に付け加えた「西表島はいつの時代もいろいろなものを押し付けられて来た。多くの人は知らないが、嫌な話は絶えずきた。日本軍の通信基地、核のゴミ処理、ベトナム戦争の民間人収容所、リゾートホテルの建設。。。島の聖地なんてお構いなしに破壊する。中国が責めて来たらどうすると言うが、歴史を見ればわかる。沖縄を幾度も侵略してきたのは日本とアメリカだけ。島は中国と何百年も交流が続いている。」

金星さんいわく「島」は大きくても400人〜500人くらいが良いと言う。それ以上になると決めごとは難しい。一票の格差で揺れる国家型民主主義。国の在り方を考える上で、より小さな島型民主主義から学ぶべきことはたくさんありそうだ。



さて、帰ってきたら大分もすっかり春模様。
桜が美しい。
もやもやする心を楽にしてくれる。なんともありがたい。

花に手を合わさず、何に手を合わす。




2013年3月24日日曜日

okinawa

沖縄に来てます。
雨もよくふるけれど、だいぶ暖かい。
先日はやんばるで竜巻もみたな〜。
竜巻が発生する同じ空にオスプレイを2機。やんばるでも宜野湾でも。
政府も辺野古埋め立てに動き出した。政府主導の環境破壊、平和破壊が勢いを増す模様。
市民主導の生命優先、世界平和への動きもつながりがより顕著に。




























今は首里にいるのだけれど、今回は主にやんばるで過ごしていた。
大宜味村の山々を大雨の中歩いたり、やんばるに暮らす仲間たちと語り合ったりした。
ブロッコリーの森とも呼ばれる「イタジイ」の森は新緑で色鮮やかに輝いている。
そして、何かと嬉しい気持ちにさせてくれるヘゴの木。木とは言っても、長く伸びた根っこなのだけど。

明日は沖縄のウタキやグスクを中心に南部を散策。
27日からは念願の西表島。


2013年3月6日水曜日

プロジェクト99%と311

今日はお知らせです。


〜安部芳裕+冨田貴史 お話会 「政治との向き合い方、社会の変え方」99%プロジェクト〜

詳しくはこちら→プロジェクト99%

日時:3月8日(金)午後7時〜午後9時半まで
会場:百種MOMOKUSA
            豊後高田市松行9−1
   http://www.momokusa.com/access/
会費:500円(当日会費とは別にカンパ箱を用意します。可能な方は活動へのカンパと会場運営のカンパお願い致します。)

2011年3月11日から2年が経とうとしています。たくさんの方々が命を落とされ、生き延びた方も避難生活や放射能汚染と向き合う暮らしが続いています。世界中の人々にとって新たな生き方への分岐点となった311ですが、国政は原発再稼働、憲法改正、TPP参加へと舵をとっています。ここで、わたし達は恐怖を抱くのではなく、事実を知り、政治を理解し、社会を変えていくことができるのだと思います。安部さんのお話と冨田さんのファシリテーションのもと、皆で学び合えたらと思います。
夕食どきですので、持ち寄りご飯大歓迎です!たくさんの方々のご参加お待ちしています。

講師: 安部芳裕
作家、ソーシャルアクティビスト,サスティナブル経済研究所所長.99%プロジェクト代表
環境問題の根幹にあるのは経済システムの問題だとの認識からオルタナティブなお金である地域通貨「レインボーリング」を1999年に立ち上げる。
講演や体験型ワークショップなど多数。持続可能な自立型経済の構築をテーマに情報を発信している。 
著書「だれでもわかる地域通貨入門」「みんなが幸せになるお金の話」「金融崩壊後の世界」「国際銀行家の支配/管理のしくみ」「原発震災後の日本の行方〜知られざるTPPの真実」など多数


講師: 冨田貴史
1976年千葉県出身。京都府在住。 エネルギー、お金、暦の未来について語り合うワークショップのファシリテーター。
上関原発問題とスウェーデンの自然エネルギー社会を取り上げた映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の製作に携わり、広報活動されている.
著書『わたしにつながるいのちのために』(2006年)
『美しい海と私たちの未来』(2010年)
「今、わたしにできること、目に見えないものを見つめて生きていく〜」(2012年)


そして、「311いのちのわ」。
3月10日は大分市若草公園で会いましょう。



2013年3月3日日曜日

幸せの空気感

1月にフェイスブックで正木高志さんがあげたメッセージが素晴らしいと思う。
一部抜粋。

フクシマ、オキナワ、憲法9条・・・政治の逆流を乗り越えて原発と戦争をなくすムーヴメントの成否は「つながること、ばらばらにならないこと、ひとつになること」にかかっていると思います。そしてその鍵は「ゆるすこと」であると思われます。

ゆるすとは、ゆるめること。ぎゅっと硬くならないで、ふわりと手放すことですね。「ゆるしてください」と祈り願うことで、私たちはゆるすことをまなぶでしょう。

あるインドの聖者が「もしあなたが心の平安をえたいなら、他人の欠点を見ないようにしなさい。この世に他人など存在しません」といっています。もし私たちがばらばらになって自分の完璧をもとめるなら、それはけっして実現しないでしょう。わたしたちがそれぞれあるがままの自分色を表し、さまざまな色のあるがままの他者とつながり、ひとつになることができたなら、憲法9条をまもり、原発をなくすことができるでしょう。

欠点に目をつぶれというのではありません。はじめにゆるしがあることが大切なのです。赤い花が黄色にかけていることを「ゆるす」こと、そのような見方を学ぶことによって、私たちはつながることができるようになります。また、人はゆるされることで、学び、成長して、あるがままの自分の色を輝かせることができます。そうしてつながることで、みんながほんとうに求めている調和が実現するでしょう。その調和が、国と国の調和、環境と人間の調和をもたらすでしょう。」

このメッセージを読んでからゆるすことについて考えてきた。同時に幸せについても考えている。豊後高田市立図書館で目に飛び込んできた本があった。「ブータンから考える沖縄の幸福」。ちょっとおもしろそうだなと思い、さっそく読み始めるとまえがきにこうある。

「ブータン、という国名を聞いたのはもう四十年以上も前だ。中学校以来の友人が、ヒマラヤに憧れ、ネパールでヒッピーの大集会に参加したりしていた。本人も山々を歩きまわって、すっかり「変人」となり、帰国後は阿蘇の山の中で暮らし、有機野菜を育てるようになった。今は家族と「アンナプルナ農園」でお茶を栽培し、本人は木を植えるために全国行脚中のようだ。」

思わず笑ってしまった。そう、これは正木高志さんのこと。

図書館に行く少し前にマナさんのヨガ教室に参加した。外に外に出がちな自分だが、やはりゆっくり自分を見つめ、自らを労る時間が必要だと近頃はひしひしと感じる。外(社会)の情報は山のようにあり、外(世界)の現実は一層厳しくなっているとも言える。
マナさんのヨガに参加すると、幸せとはチャンネルの合わせどころにあるのかもしれないと思ったりする。求めるものではなく、増産していくものでもない。常に存在する「空気感」のようなものなのかもしれない。そして、その空気感とは白熱した議論に間を置いてお茶を飲むようなことなのかもしれない。わたしにしてみたら、子ども達と温泉に入ってる時なんかは幸せな時間。単純に子どもがいるから幸せだと言っているわけではなく、こういった当たり前とされる奇跡の連続にチャンネルを合わせられている時こそ、そこに充実や幸せがあるように感じる。

江戸時代中期、国東半島に住んでいた哲学者三浦梅園の言葉が好きだ。

枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け