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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2013年3月3日日曜日

幸せの空気感

1月にフェイスブックで正木高志さんがあげたメッセージが素晴らしいと思う。
一部抜粋。

フクシマ、オキナワ、憲法9条・・・政治の逆流を乗り越えて原発と戦争をなくすムーヴメントの成否は「つながること、ばらばらにならないこと、ひとつになること」にかかっていると思います。そしてその鍵は「ゆるすこと」であると思われます。

ゆるすとは、ゆるめること。ぎゅっと硬くならないで、ふわりと手放すことですね。「ゆるしてください」と祈り願うことで、私たちはゆるすことをまなぶでしょう。

あるインドの聖者が「もしあなたが心の平安をえたいなら、他人の欠点を見ないようにしなさい。この世に他人など存在しません」といっています。もし私たちがばらばらになって自分の完璧をもとめるなら、それはけっして実現しないでしょう。わたしたちがそれぞれあるがままの自分色を表し、さまざまな色のあるがままの他者とつながり、ひとつになることができたなら、憲法9条をまもり、原発をなくすことができるでしょう。

欠点に目をつぶれというのではありません。はじめにゆるしがあることが大切なのです。赤い花が黄色にかけていることを「ゆるす」こと、そのような見方を学ぶことによって、私たちはつながることができるようになります。また、人はゆるされることで、学び、成長して、あるがままの自分の色を輝かせることができます。そうしてつながることで、みんながほんとうに求めている調和が実現するでしょう。その調和が、国と国の調和、環境と人間の調和をもたらすでしょう。」

このメッセージを読んでからゆるすことについて考えてきた。同時に幸せについても考えている。豊後高田市立図書館で目に飛び込んできた本があった。「ブータンから考える沖縄の幸福」。ちょっとおもしろそうだなと思い、さっそく読み始めるとまえがきにこうある。

「ブータン、という国名を聞いたのはもう四十年以上も前だ。中学校以来の友人が、ヒマラヤに憧れ、ネパールでヒッピーの大集会に参加したりしていた。本人も山々を歩きまわって、すっかり「変人」となり、帰国後は阿蘇の山の中で暮らし、有機野菜を育てるようになった。今は家族と「アンナプルナ農園」でお茶を栽培し、本人は木を植えるために全国行脚中のようだ。」

思わず笑ってしまった。そう、これは正木高志さんのこと。

図書館に行く少し前にマナさんのヨガ教室に参加した。外に外に出がちな自分だが、やはりゆっくり自分を見つめ、自らを労る時間が必要だと近頃はひしひしと感じる。外(社会)の情報は山のようにあり、外(世界)の現実は一層厳しくなっているとも言える。
マナさんのヨガに参加すると、幸せとはチャンネルの合わせどころにあるのかもしれないと思ったりする。求めるものではなく、増産していくものでもない。常に存在する「空気感」のようなものなのかもしれない。そして、その空気感とは白熱した議論に間を置いてお茶を飲むようなことなのかもしれない。わたしにしてみたら、子ども達と温泉に入ってる時なんかは幸せな時間。単純に子どもがいるから幸せだと言っているわけではなく、こういった当たり前とされる奇跡の連続にチャンネルを合わせられている時こそ、そこに充実や幸せがあるように感じる。

江戸時代中期、国東半島に住んでいた哲学者三浦梅園の言葉が好きだ。

枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け



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