自己紹介

自分の写真
豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2011年9月29日木曜日

美しい海ありがとう

いよいよ、明日から「美しい海ありがとう!ウォーク」です。
ONE EARTH国東源帰の結びでもあります。

質素で素朴な食をとり、必要なものだけを持ち、未来について語らい、自然の恩恵に感謝し、人々とつながり、浮くことなく腰を据えて歩き、瞑想の心で、一歩一歩大切に歩いて参ります。ありがとうございます。



ブログは一週間おやすみです。
帰ってゆっくり報告できること楽しみにしています。

2011年9月22日木曜日

9/24 中村隆市さんトークライブ@百種



無事、大分に帰ってきました。
わたしが生まれ育った静岡の天竜でも避難勧告がでるくらいの雨風だったらしい。今年は準備をしておかなければいけない年な気がする。台風が多い。

長野を歩きながら、鈴生りに実るリンゴやぶどう。いつか自分も自らの手で美味しいものをたくさんつくりたいな〜。。。ただ、そんな心地いい夢をもかきけすような現実が今つくられている。



東京で「チェルノブイリハート」というドキュメンタリー映画を観た。
http://www.gocinema.jp/c-heart/
福島で放出された放射能はチェルノブイリより多いと言われている。強制避難区域が日本よりだいぶ広範囲であったチェルノブイリでは今になり子供たちの甲状腺のガンや脳障害がものすごい数で増えている様子が記録されていた。政府はなぜ、福島に「自主避難区域」を設けるのか。市民の命を守るのであれば、事実を精密に伝え、強制的に避難してもらい、新しいはじまりをサポートするべきではないか。宙ぶらりんの状態では、必要な第一歩が踏めるはずがない。

今週土曜日24日、里カフェ百種では長年原発に向き合ってきた中村隆市さんをお招きしてトークライブを開催します。2009年には今最も信頼されている学者(原発に関して)と言われる京都大学の小出裕章さんの監修のもと「知ることからはじめよう」

をスロービジネスカンパニーから発行し、多様な人々に原発とは一体なんなのかを分かりやすく解説していいます。有機農業運動にも携わりやフェアトレードという概念を日本にはじめて紹介した1人としても有名です。是非、2011年というこの分岐点の年にキャンドルナイトのもとみなで新しい世界を創造してみましょう。
http://kunisakigenki.blogspot.com/2011/09/924.html
9月24日(土)
午後6時〜
里カフェ百種 
豊後高田市松行9-1 
www.momokusa.com

2011年9月16日金曜日

中山道

おはようございます。明後日は久しぶりに東京に行きます。たまにしか会えない姉がちょうどいないのが残念。。。東京といえば、9月19日に「さよなら原発集会」が明治公園でひらかれます http://sayonara-nukes.org/cat/action/

日本中で集会が開かれているのにも関わらず、メディアの取り上げ方があまりにも消極的のような気がする。福島の事故が起きた時に原発の危険性をあまり報じてこなかったことに対して反省をする記事をいくつかの新聞で見たが、民意をより鮮明にすくいあげる必要があるように思える。なぜなら、今日本で起きようとしていることはひとつの革命だから。熱は冷めてきているにせよ、どこの街角にいっても原発の話はできるし、多くの人が原発のないくらしを望んできている。それは、大量消費・生産に象徴される都市型思考の現代社会から、未来のあるより平穏な世の中を切望しているからなのではと思う。

平和を望まない人はいない、ただ、平和を意識的に望む人が増えなければいけないだけだと思う。3月11日は私たちにその機会を与えてくれた。2万人にも及ぶ犠牲者と放射能汚染という代償はあまりに大きすぎるが、これを機に変わらなければ。。。これを機に変わろう。

今日は奈良井から上田まで行く。明後日には東京に入り、7日に京都からスタートした中山道ツアーも終わる。昔はこの道をワラジで歩いていたのだろう。
りんごをかじりながら、今日も暑さをしのごう。

2011年9月13日火曜日

日本の村は美しい


長野の美しい山間の村々を歩いています。日本の村はなって美しいのでしょう。お米をつくって、限れた土地にじょうずに旬の野菜を植え、木々花々が家を囲っている。80歳にはなろうおばあちゃんやおじいちゃんが身軽に、そしてどこか優雅に日々を過ごしています。

今日は24km歩きました。丈夫な体に感謝して、気を緩めずに明日も歩きます。

2011年9月11日日曜日

愛することを忘れないで

「あれから、何年。。。」ひとつの出来事があると、それが分岐点となり、人間は今をその時を起点に考えたりする。その起点は、我が子の出産であったり、パートナーとの出会いであったり、時には今日がそうであるように大きな悲しみの日であったりする。

2001年、9月11日。自分がその時何をしていたか。アメリカに住んでいた人のみならず、世界中多くの人がその日を覚えている。2011年3月11日もまたそういった日になるだろう。当時、大学生だったわたしは夏休みを利用してヨーロッパを旅していた。スペインに南下し、どうせならとの思いから、スペイン南部の港町から母なる大地アフリカはモロッコを目指した。船で出会ったアサイードに誘われ、彼の弟の結婚式に行くことになった。結婚式と言っても、一日で終わる式典ではなく、町全体が関わり1週間くらい続くものだ。イスラムの祈りを捧げながら、町中を人々と歩かされる子牛が最終的に屋内に連れられ、その場で頭を落とされ捌かれる。とても見ていられなかったが、この人たちは「命を知っている」そう思った。まるで、家族のように受け入れられ、夢のような数日間だった。モロッコからヨーロッパの拠点に戻り、ニューヨークに戻る前日の日に日本にいる母から電話があった。珍しく興奮した声でテレビをつけるようにと。。。そこには「9・11」があった。

今や「9・11」と語り継がれるこの出来事だが、本当の真相は未だ分かっていない。二機の飛行機がWTCビルに突っ込み3000人もの人々がこの場で命を落としたことは明らかだが、操縦士とされる男がほとんど飛行訓練を受けていなかったことや、ペンタゴンに墜落したとされる飛行機は無論、破片すらその場の映像には写っていないことなど『?』が多い。。。世界を揺るがす出来事はあまりにショッキングで、その先を追求させない、つまり思考を停止させる力をもっている。しかし、本来はその出来事自体が起点なのであって、起き上がる、変化を求める絶好のチャンスなのだと思う。8月6日や9日がそうであるように、9月11日も3月11日もそういう日でなければいけない。

一時は落ち着いていた愛国心も2001年の秋を機に火がつき、アメリカの旗があちらこちらで掲げられるようになり、イスラムの教えに沿った生き方をする者は襲撃の的となっていた。それは、20万人以上の犠牲者をだしているイラク攻撃やアフガニスタン攻撃へと至り、アメリカは空回りを続けている。

2001年9月11日から今日で10年。今朝のNHKのニュースでWTC跡地に「Remember to Love(愛することを忘れないで)」と書かれた大量のリボンが柵に縛られている映像が流れた。あの時アメリカを覆った怒りは、悲しみへと変わり、徐々に慈しみへと変わっているのかもしれない。日本は今分岐点に立っている。8月6日の国、8月9日の国、6月23日の国、そして、3月11日の国、傲慢に聞こえるかもしれないが、変化への種は日本から芽を出さなければいけないような気がする。そう、原発もいらなければ、戦争もいらない。平和を、慈しみを取り戻そう。

2011年9月8日木曜日

多様性と対話

月曜日の夜に素晴らしいミーティングをした。国東から祝島まで歩く「美しい海ありがとうWウォーク」の話だ。今の日本、やはり議論が足りていない気がする。わたし達が直面している危機は対話なしでは解決できない。特に意見の異なる人とどんどん対話していくこと。地球は本質的に多様性に満ちている。同時に、暮らしを守ることや家族への愛など普遍的な共通点も多々ある。多様な世の中で人間としての交錯地点をみつけていくこと。より深いつながりが私たちに求められている。

2011年9月1日木曜日

mind reset

明日9月2日は「幸せの経済学」両子寺でやります。
午後5時〜 前売り800円 当日1000円 未来世代入場無料
寺での映画、寺での対話。




こんばんは。どちらかと言えば朝方のわたしは夜はあまり得意ではない。やっぱり、早寝早起きにかぎる。

先週の日曜日、国見町は「みんなんかん」で10万年後の安全の上映会とくにさきマーケットが開催された。素晴らしい晴天に恵まれ、お日様に感謝し、青空にみとれ、命を感じる日だった。10万年後の安全は放射線廃棄物の存在を私たちに再認識させ、地球の一部である人間が地球に対し害を与え続けることに、ただただ「ごめんなさい、ごめんなさい。。。」

映画で取り上げられていたフィンランドの何十倍もの放射線廃棄物をかかえる日本がこの問題とどう向き合うのか。解決はできない、向きはってはじめてわたしたちは変わる。否定の渦の中に肯定はつくられない。否定であると認識してはじめて、意識が開花し、問題の本質が見えてくるのだと思う。放射線廃棄物の行方を通し、露になる領域とは、今までと同様の考え方や解決方法では前進はないということ。命を軽視するシステム自体を改めることも必要だが、私たちに求められている変化は内なるものでなければいけない。