自己紹介

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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2011年9月11日日曜日

愛することを忘れないで

「あれから、何年。。。」ひとつの出来事があると、それが分岐点となり、人間は今をその時を起点に考えたりする。その起点は、我が子の出産であったり、パートナーとの出会いであったり、時には今日がそうであるように大きな悲しみの日であったりする。

2001年、9月11日。自分がその時何をしていたか。アメリカに住んでいた人のみならず、世界中多くの人がその日を覚えている。2011年3月11日もまたそういった日になるだろう。当時、大学生だったわたしは夏休みを利用してヨーロッパを旅していた。スペインに南下し、どうせならとの思いから、スペイン南部の港町から母なる大地アフリカはモロッコを目指した。船で出会ったアサイードに誘われ、彼の弟の結婚式に行くことになった。結婚式と言っても、一日で終わる式典ではなく、町全体が関わり1週間くらい続くものだ。イスラムの祈りを捧げながら、町中を人々と歩かされる子牛が最終的に屋内に連れられ、その場で頭を落とされ捌かれる。とても見ていられなかったが、この人たちは「命を知っている」そう思った。まるで、家族のように受け入れられ、夢のような数日間だった。モロッコからヨーロッパの拠点に戻り、ニューヨークに戻る前日の日に日本にいる母から電話があった。珍しく興奮した声でテレビをつけるようにと。。。そこには「9・11」があった。

今や「9・11」と語り継がれるこの出来事だが、本当の真相は未だ分かっていない。二機の飛行機がWTCビルに突っ込み3000人もの人々がこの場で命を落としたことは明らかだが、操縦士とされる男がほとんど飛行訓練を受けていなかったことや、ペンタゴンに墜落したとされる飛行機は無論、破片すらその場の映像には写っていないことなど『?』が多い。。。世界を揺るがす出来事はあまりにショッキングで、その先を追求させない、つまり思考を停止させる力をもっている。しかし、本来はその出来事自体が起点なのであって、起き上がる、変化を求める絶好のチャンスなのだと思う。8月6日や9日がそうであるように、9月11日も3月11日もそういう日でなければいけない。

一時は落ち着いていた愛国心も2001年の秋を機に火がつき、アメリカの旗があちらこちらで掲げられるようになり、イスラムの教えに沿った生き方をする者は襲撃の的となっていた。それは、20万人以上の犠牲者をだしているイラク攻撃やアフガニスタン攻撃へと至り、アメリカは空回りを続けている。

2001年9月11日から今日で10年。今朝のNHKのニュースでWTC跡地に「Remember to Love(愛することを忘れないで)」と書かれた大量のリボンが柵に縛られている映像が流れた。あの時アメリカを覆った怒りは、悲しみへと変わり、徐々に慈しみへと変わっているのかもしれない。日本は今分岐点に立っている。8月6日の国、8月9日の国、6月23日の国、そして、3月11日の国、傲慢に聞こえるかもしれないが、変化への種は日本から芽を出さなければいけないような気がする。そう、原発もいらなければ、戦争もいらない。平和を、慈しみを取り戻そう。

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