自己紹介
- Mario Anton
- 豊後高田市, 大分県, Japan
- アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。
2011年10月31日月曜日
歩いてみる
今週末はたっぷり雨が降った。豊後高田は香々地の海岸では、「六郷満開」が開催され、雨ではあったけれども、「自発的に、自主的に皆でつくる祭」との趣旨に沿った在り方を皆で試みることができた。よい祭だったな〜。
現在、国東の山々を歩いている。国東半島にはさほど高い山はないが、半島の中心にはいろいろな山達が凝縮して存在している。その中には僧侶や山伏が過ごしたであろう岩屋(磐座)が点在しており、この地が内面的成長を重んじてきた場所なのだと改めて感じる。国東は歩いてみる場所。日本における観光の多くが、名所巡り化している中で「観光」という言葉の本来の意味に光を照らしてみたい。その名の通り、「光を観る」。その光とは、時にはそこに住む人々であり、時にはそこに存在する大自然。歩くことは、物理的にいえば前にすすむことだが、その行為をもってわき上がる感情は発展・進歩・進展などに表現される世界ではなく、心の中へ、自然との共鳴の世界へと帰っていく行為だと思う。国東は歩いてみる。国東は歩くところであってほしい。
国東源帰。
2011年10月24日月曜日
happiness
今日は、国東に住む龍さんがリードする「六郷満開」
https://sites.google.com/site/rockgomankai/home
のミーティングが行われた。国東でのミーティングは毎度のこと長い。これは否定的な捉え方ではなく、そこには決めごとを大切に扱うという文化が生まれつつあるということなのだと思う。事の詳細をつめる前に、皆々で「この人生どのように生きたいか」ということを共有した。その中で幸せというテーマが多くでてきた。幸せをかみしめたい、世界中に幸せを、幸せを求め続けたい。。。
わたしの幸せ。
①.母親と眠る子供たちを見つめその呼吸に耳を傾ける時
②.トークやディスカッションの場で伝達がうまくいき、聞き手の心が動く時
③.自然と共鳴(ひとつ)している時
空を見上げてみれば恩恵だらけ。幸せはその場でその時からつくっていこう。
https://sites.google.com/site/rockgomankai/home
のミーティングが行われた。国東でのミーティングは毎度のこと長い。これは否定的な捉え方ではなく、そこには決めごとを大切に扱うという文化が生まれつつあるということなのだと思う。事の詳細をつめる前に、皆々で「この人生どのように生きたいか」ということを共有した。その中で幸せというテーマが多くでてきた。幸せをかみしめたい、世界中に幸せを、幸せを求め続けたい。。。
わたしの幸せ。
①.母親と眠る子供たちを見つめその呼吸に耳を傾ける時
②.トークやディスカッションの場で伝達がうまくいき、聞き手の心が動く時
③.自然と共鳴(ひとつ)している時
空を見上げてみれば恩恵だらけ。幸せはその場でその時からつくっていこう。
2011年10月14日金曜日
もうすぐ収穫
稲の収穫時期が近づいている。今年ははじめて田んぼをかりて、磐座の麓でお米をつくっている。田んぼが車で10分くらいの距離にある為、朝早くから田草とりに出掛けていたころはそれなりに大変だった。ただ、澄んだ空気の中、太陽を浴びて、ぬかるんだ土に足をいれた瞬間、コンセントのように大地とつながる感覚を味わうことができた。
小さいうちにヒエを選別できずに、お米より背の高いかれらが風に揺らいでいる。ヒエがお米をつくる上でやっかいなのは言うまでもないが、よくよく考えてみればヒエも食物だ。地元の人に聞いても、「昔はようでよったき、食べよった」と。さっそく、実りに実ったヒエを口にしてみる。。。美味しい。
とある島に住む人が言っていた。水があまり豊富ではないその島ではお米が育ちにくいと。お米が日本食において主食であることは間違いないのだが、その人はヒエやアワなどの雑穀に目を向けることも大切だと言っていた。芋や雑穀を取り入れ、日本食の典型を多少なりとも改めないと島においての時給自足は難しいとも。その昔はきっとそうだったのだろう。
うちもカフェを営んでいることもあり、かなりの量のお米を消費している。
お米が日本食においての真髄であることは確かだが、物事を考えていく上で「典型を改める」もしくは「典型を疑問視する」発想は今後より一層大切になってくるのかもしれない。
お米さん、実ってくれてありがとう。
小さいうちにヒエを選別できずに、お米より背の高いかれらが風に揺らいでいる。ヒエがお米をつくる上でやっかいなのは言うまでもないが、よくよく考えてみればヒエも食物だ。地元の人に聞いても、「昔はようでよったき、食べよった」と。さっそく、実りに実ったヒエを口にしてみる。。。美味しい。
とある島に住む人が言っていた。水があまり豊富ではないその島ではお米が育ちにくいと。お米が日本食において主食であることは間違いないのだが、その人はヒエやアワなどの雑穀に目を向けることも大切だと言っていた。芋や雑穀を取り入れ、日本食の典型を多少なりとも改めないと島においての時給自足は難しいとも。その昔はきっとそうだったのだろう。
うちもカフェを営んでいることもあり、かなりの量のお米を消費している。
お米が日本食においての真髄であることは確かだが、物事を考えていく上で「典型を改める」もしくは「典型を疑問視する」発想は今後より一層大切になってくるのかもしれない。
お米さん、実ってくれてありがとう。
2011年10月8日土曜日
帰ってきました
9月29日に出発し、10月5日に無事「美しい海ありがとうウォーク」を終えて帰ってきました。夢のような一週間だったとつくづく思います。天候、仲間との会話、出会い、恩恵。。。この一週間で見せられた世界が今後創っていきたい未来への大きなヒントになることを確信。このブログでもウォークで得たものを少しずつ報告できたらと思います。
美しい海ありがとう
感謝、感謝。
美しい海ありがとう
感謝、感謝。
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