今週末はたっぷり雨が降った。豊後高田は香々地の海岸では、「六郷満開」が開催され、雨ではあったけれども、「自発的に、自主的に皆でつくる祭」との趣旨に沿った在り方を皆で試みることができた。よい祭だったな〜。
現在、国東の山々を歩いている。国東半島にはさほど高い山はないが、半島の中心にはいろいろな山達が凝縮して存在している。その中には僧侶や山伏が過ごしたであろう岩屋(磐座)が点在しており、この地が内面的成長を重んじてきた場所なのだと改めて感じる。国東は歩いてみる場所。日本における観光の多くが、名所巡り化している中で「観光」という言葉の本来の意味に光を照らしてみたい。その名の通り、「光を観る」。その光とは、時にはそこに住む人々であり、時にはそこに存在する大自然。歩くことは、物理的にいえば前にすすむことだが、その行為をもってわき上がる感情は発展・進歩・進展などに表現される世界ではなく、心の中へ、自然との共鳴の世界へと帰っていく行為だと思う。国東は歩いてみる。国東は歩くところであってほしい。
国東源帰。
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