自己紹介

自分の写真
豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2011年10月14日金曜日

もうすぐ収穫

稲の収穫時期が近づいている。今年ははじめて田んぼをかりて、磐座の麓でお米をつくっている。田んぼが車で10分くらいの距離にある為、朝早くから田草とりに出掛けていたころはそれなりに大変だった。ただ、澄んだ空気の中、太陽を浴びて、ぬかるんだ土に足をいれた瞬間、コンセントのように大地とつながる感覚を味わうことができた。

小さいうちにヒエを選別できずに、お米より背の高いかれらが風に揺らいでいる。ヒエがお米をつくる上でやっかいなのは言うまでもないが、よくよく考えてみればヒエも食物だ。地元の人に聞いても、「昔はようでよったき、食べよった」と。さっそく、実りに実ったヒエを口にしてみる。。。美味しい。

とある島に住む人が言っていた。水があまり豊富ではないその島ではお米が育ちにくいと。お米が日本食において主食であることは間違いないのだが、その人はヒエやアワなどの雑穀に目を向けることも大切だと言っていた。芋や雑穀を取り入れ、日本食の典型を多少なりとも改めないと島においての時給自足は難しいとも。その昔はきっとそうだったのだろう。

うちもカフェを営んでいることもあり、かなりの量のお米を消費している。
お米が日本食においての真髄であることは確かだが、物事を考えていく上で「典型を改める」もしくは「典型を疑問視する」発想は今後より一層大切になってくるのかもしれない。

お米さん、実ってくれてありがとう。


0 件のコメント:

コメントを投稿