自己紹介

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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2013年7月20日土曜日

まだ間に合う!

いよいよ明日が参議院選挙の投票日。
一昨日、わたしが住むこの町で緑の党のビラのポスティングをしてきた。
「暑い、こんな田舎で配って意味があるのか、もう結果は決まっている、、、」などなどのネガティブバイブレーションが自分の中で漂いそうになる度に本気で動いている人たちのことをおもった。よし、がんばろ。

ポスティングしたのは、この田舎でも唯一と言っていい住宅街。やっかいなことに小学生の下校時間とがっつり重なってしまい、ランドセルをしょったおチビ達が背の高い、汗だくのヒゲのおじさんを緊張した眼差しで見ていく。今後、ポスティングする時は違うメガネをかけよう。わたしのメガネは紫外線に反応して外に出るとサングラスになってしまう。これがどうやら威圧感を増大させてしまうみたい。こうなったら、笑顔だ。しかし、あんまりニヤニヤするのも良くない。。。なんてどうでも良い妄想を頭の中で繰り広げながらひたすら歩いた。ビラをポストに入れたり、手渡ししたり。
選挙権もないのになんでやるんだろう?
「選挙権があろうがなかろうが、日本列島が自分のホームであることは変わらない」と自分自身と確認する。よし、がんばろ。


夕立ちが来そうだったので、引き返すことにした。
地元産の大きなスイカが八百屋に「300円」とあったので買って帰ることにした。「このスイカ安いですね」とわたし。「食べてみて美味しくなかったら言ってね」とお店のおばちゃん(すんごく美味しかった)。彼女は言った、「日本語がとってもお上手ですね、もう長いんですか?」「はい、日本で生まれ育ったので。この町には5年近く住んでいます」。「へ〜、こんな田舎に国際人が住んじょるとは思わんかったわ〜」。ま、ここまではいつも通りというかいつものパターンだ。しかし、ここからは普段と違った。たわいもない会話から彼女が先にきりだした。「最近はここでも原発の事故のあと、移住してくる人なんかも増えたらしいわね。」へ〜、そういうことも知ってるんだ。「安部首相はまだ原発再稼働しようとしてるし、海外に輸出しようとしてるし、信じられんわ!」お〜、話がおもしろくなってきた。「こんな地震も多い国で、原発なんかいかん。政府もメディアも何も伝えない」だんだん、話がディープになってきた。「うちの旦那はね、もしもの時の為に備蓄もしとかなきゃって言ってるのよ。。。」ワオ。「ちょっと渡したいものがあるので、車にとってきます!」急いで車にあった緑の党のビラをとってきて彼女に渡した。「わたし緑の党という政党を支持していて。。。」とわたしが言うと、「あ!緑の党ね。うちの旦那もこの党が一番いいって言っちょる。じゃあうちもここにいれるけん〜」。1票獲得!

やはり、政治の基本は対話だ。対話という土台があってはじめて民主主義が成熟していく。その対話は同じ思いを共有する人とのみするものでは決してなく、常日頃から積み重ねていくものだと思う。わたし達の中にある思い込みや固定概念が実際にはつながれる多くの人とのつながりを断絶してしまうことがある。そして、このつながりは同じ政党を支持するから生まれるのではなく、この地球の上にたつ同じ人間だからこそうまれる。
だから、まだ間に合う。きっと間に合う。対話を続けよう。



1 件のコメント:

  1. 私も緑の党に入れましたよ!マリオさんと対話があったから。。。地道な努力がすごく大切だと思います。応援しています。

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