自己紹介

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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2013年7月16日火曜日

mama africa

明日、大分県中津市にてトークします。
ありがたいことに満席のようです。
自らの話を聴いてもらうことを通して、この世界を皆で考えより良くしていくきっかけづくりを心がけています。トーク、ファシリテーションお気軽にご相談ください。



また起きてしまった。
アメリカで17歳のアフリカンアメリカンの少年が近くをパトロールしていた男性に射殺された。男性は雨の中フッドをかぶって歩いている少年を「怪しい」と判断し、結果彼の命を奪う惨事になってしまったのだ。

奴隷制度によって、アフリカ大陸から南北アメリカに連れてこられた人々は数百万人。アメリカ合衆国においてのいわゆる「奴隷解放」は1862年。しかし、その後もアフリカにルーツをも持つ人々は想像を絶するような差別と暴力にさらされ続けてきた。そして、奴隷解放の100年後に起こったのが公民権運動。アフリカ系の人々を中心に調和を望む幾千もの人々が国中で立ち上がり、より公平な世界に向け行動した。1963年、マーティンルーサーキングの「I have a dream」のスピーチには私の母親も含め25万人もの人がワシントンDCに集まりアメリカは変わるのだと信じた。しかし、キングをはじめ数えきれない程のリーダー達が60年代〜70年代の間に殺されていった。新しいアメリカを夢見た多くの人々が絶望にかられた。60年代以前に見られたような、あからさまな人種差別は減ったものの、制度化された人種差別はその後もアメリカを覆い尽くしていると言える。

そして、今回の事件だ。少年(Treyvon Martinさん)の命を奪った男性(Zimmerman氏)に一昨日無罪判決が言いわたされた。警察が正当防衛の名のもとにアフリカンアメリカンの男性の命を奪う事件は後を絶たない(今回のように被害者はアフリカンアメリカン、加害者はいわゆる「白人」ないしはアフリカンアメリカンではないことがほとんど)しかし、これらの事件でまともな判決が下されることは少ない。今アメリカ中で「No Justice, No peace」と憤りをあらわにした人たちが街を練り歩いている。

2011年、国東半島から祝島への平和巡礼の最中「怪しい、こわい」との通報を受けた私服警官2名がビーチで休んでいたわたしのもとへやってきたことを思い出す。平和な日本では、幸い怪しさ故に殺されることはないが、ひとりひとりの中に存在する恐怖はどこから生まれるのか。。。恐怖をもって世界が変わることはない。








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