自己紹介

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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2013年8月16日金曜日

スウェーデン日記②

天気によって気分がころころ変わる自分。
今日は朝から雲ひとつない晴天だ。きもちいい!
姉の美枝が住むのはストックホルムの中でも古都と言われるガムラスタン。ストックホルムを訪れたことがある人なら必ず足を運ぶこの街の中心だ。

どこにいてもそうだが、太陽の光に当たるとその場所はみるみるうちに輝く。沖縄であっても、ハワイであっても、国東であっても、ここストックホルムであっても同じだ。特にこの街の色鮮やかな外壁は光がよく似合う。

今回は姉の所に来てるとはいえ、1人旅みたいなもの。物事を人と共有することが好きなわたしとしては、1人旅のどこか物足りなさを感じながらもひたすら歩く。ストックホルムの街くらいだったら、なんとなく歩いているとどこかに辿り着くし、どこを歩いても美しい。

この街を歩いていると、地球環境の危機もどこか遠い話に聞こえてしまうような感覚に陥る。それもそのはず、スウェーデンと言えば、環境先進国であると同時に世界幸福度指数では必ず10位以内に入るような国だ。幸福度指数が何を根拠にしているのかは分からないが、デンマークが1位で日本が90位なことにはどこか納得してしまう。。。
街であるが故に物に溢れたマテリアルな地区もあるが、風土を尊重する文化はかなり深いところで根付いている。

風土だけではない。人への尊厳や多様性もそうだ。

こちらに来て気付いたことがある。10代や20代の若者が身体などに障がいをもった友達と「普通」にお茶をしてたりする。この当たり前にあっていいような光景があまりない日本から来ると、当たり前に障がいをもった友達とお茶をしながら彼氏の話をしてたりする女子高生にはっとさせられる。学校システムの違いなんかもあるのかもしれないが、双方にオシャレをして街をぶらついている姿はどこか新鮮だ。

あまり長くない夏を思いっきり楽しもうと、ストックホルム各地で様々なコンサートやイベントが行われている。先日、スウェーデンの国会議事堂にあたる建物の目の前で北アフリカ(もしくは中東)のロックバンドのライブをみた。そこには、1000人くらいの人がいた。
わたしは観客の多様性にあっけにとられた。肌の色や国はもちろんのこと、小さな子どもから、若いカップル、おじいちゃん、おばあちゃんまでもが月夜の下、音楽を楽しんでいた。
その時、三宅洋平さんの言葉を思い出した。「世界の闇や悪を暴露する時代ももう終わりです。変わったんだってことを強く優しく大きく太く伝えていきましょう」。そう、世界は既に変わっている。
「国家」が変化についてきてないだけなんだ。

だから、本来はもっと深いはずのものを「日中関係」とかいう表現でまとめてしまう。
村であれ、県であれ、国であれの方向性に強い関心を持っている多くの人が国家や、市町村のドアをノックして、仲間に入れてもらい、世界中の人の望み(平穏かつ豊かな暮らし?)の実現に向けて政治に関わるとおもしろいと思う。そう思った。

日本国籍を持っていたら、5秒で市議会選挙でもなんでも立候補してるけどな〜。


話は変わるが、80年代、南アフリカのアパルトヘイトを見て見ぬ振りをしていたいわゆる先進国のリーダーとは裏腹にスウェーデンの首相は南アフリカの非人道的な政府を公の場でしっかりと非難し続けた。結果的にその首相は何者かに暗殺されてしまうのだが、そのような人が首相になることに感銘を受ける。
「国」や「村」の集合意識はどのようにつくられるのか。
哲学者、内山節さんが暮らす群馬県の上野村もそうだ。
上野村や祝島の人々が持つ村や島への愛はなぜ生まれるのか。
ゴルフ場や砂防ダムの建設を拒む地域と受け入れる地域の差はどこでうまれるのだろうか。アパルトヘイトに反対し、原発もやめれる国と、例えば原発を推進する国の差はどこでうまれるのだろろうか。
そんなことを考えながら、行き行く人々を眺めていた。


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