1945年、8月6日、午前8時15分。あれから68年。
わたしたち地球人はこの日を忘れない。そして、伝え続ける。
夏の中山道のツアーも終わり、長野で数日過ごすことにした。長野に行ったことがある人なら分かると思うけど、とにかくこの県は広い。そして、山々が圧倒的に美しい。
8月3日〜4日にかけて栂池(つがいけ)高原で農文協主催の哲学講座に参加した。講師は内山節さん。参加者は農業に携わる人を中心に、多様な物語をもった15人程のメンバーで構成されていた。1泊2日で内山さんのお話が4回、質疑応答で議論は更に深まり、交流会という形で夜までいろいろな意見や思いが飛び交った。素直に楽しかった。
テーマは「生きる世界の再建のために」だ。
内山さんは「世界」という概念について話をすすめた。。。
「世界」はわたしたちの生きる小さな「世界」からいつから地図上の「世界」へとなっていったのか。良かれ悪かれわたしたちがどこに住んでいようと広い意味での世界とつながっていることは否定できない。しかし、全体の世界が大きくなるに連れて世界の実態がぼやけていく。今、多くの人が世界というと分割された世界を考えてしまう。経済、政治、文化。。。しかし、昔の共同体の中には統合された世界があった。その要因のひとつが世界の捉え方にあるのだと内山さんは言う。現在の世界は知性で捉えるから分割されてしまう。例えば、共同体のように感覚的に捉える世界では畑を耕すことと、山仕事をすること、大工仕事をすること、神仏を信仰することは分割してとらえられない。単に「暮らしてる」ことになる。
近代社会は統合性がないが故に政治にせよ、経済にせよ、解決が見いだされにくい。そして、いつの間にか「世界」がどんどん遠くなってしまっている。ほんとは大事なことなのに、どうでも良くなってしまう。自民党が勝てば、「やっぱりね」の世界になってしまう。そして、全てが遠くにあるような幻想をつくることで政治も経済もやりたいほうだい。原発も同じやり方だ。原発の存在は多くの人が知っていた。でも、やっぱり遠くにあって、爆発してはじめて近くにあることに気づく。
その遠くにある世界を目の辺りにした多くの人が直接的に関われる社会を創りたいとの思いからつながりの世界をコミュニティや共同体というキーワードをつかって再構築しているのだと思う。
内山さんの話は多岐にわたって考えさせられるものばかりだった。ここで、全ては書けないのでわたしが彼の話を聞いて書き留めたことを箇条書きでシェアして終わりにしたいと思う。
*「人々」という概念は1700年代に誕生した。日本の場合は1900年代。
*戦争の形が剣から鉄砲へ変わる。鉄砲の玉の生産力=国家力。いつの間にか「みんな」の戦争になっていく。
*江戸時代は外との争いがないから、国力をあげて国民をつくる必要がなかった。
*「人々」という概念をつくることが支配の原理ではないか。
*最初は国がつくる国家アイデンティティーが、いつの間にか自分たちが率先して「人々」(労働者、消費者、日本人)になっていく。
*今、問題意識をもって過去を見るとヒントがうまれる。答えではない。
*未来のために。。。ではなく、過去に学び、今責任をとることが、結果的に未来の為。
*「分からない」と言えることが人の間においても協力関係、支え合いにつながっていくのではないか。
*近代社会は「分かる」世界。昔は「分からない」ことだらけ。分からないことで謙虚さを生む。
哲学の話は頭をひねる話ばかりだが、内山さんの話は頭で解決しようとするものを心(感覚)におろしていくような心地よさがあった。すごく勉強になった。
そして、何よりみなで議論し、この世界を深く考えるプロセスに大きな喜びがあった。
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