自己紹介

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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2012年5月31日木曜日

百種のこと

去年の8月5日ヒロシマの日の前日、娘の和抱(わほ)が産まれて1ヶ月も経たない時にわたし達家族は「里カフェ百種」をオープンさせた。その以前からイベントや上映会などを企画する際には食を提供していたのだが、営業日を設けお店をやったのははじめてだった。道路に看板をたてていなかったので営業日の金〜月曜日には必ずと言っていいほど迷子の電話がかかった。決してアクセスの良いところではないが、国東半島を中心に遠くは大分や北九州から来店があり多くの方々にこの場の雰囲気と食を楽しんで頂いた。


3月中旬に百種のブログで報告させて頂いたように、里カフェを中心とした百種には区切りを付けさせて頂くことになった。

以下、3月17日の百種日記より一部転載:


今まで里カフェを中心にイベント、ワークショップをしていました。
3月11日以降 私たちの常識はくつがえされました。
今まで通りではない現在未来の現実
その中で生活を成り立たせる為の手段として設けたカフェの存在。この存在との葛藤が百種の中で大きくなって行きました。
お客さんを呼び込まなきゃ成り立たない商売。しかし、そのスタイルは自分たちが本来、在りたいと思う自分たちではなく。。。自由で、もっと人と人と関わり合い発信し、子供をお店に縛ることなく自然の中でのびのびと育てたい。そんな事からどんどん遠ざかって行きました。美味しいご飯の出て来るお店。これを完成させる事が自分たちの生き方では無かったはずなのに、いつの間にかすり替わっていく毎日でした。
本当に未来に必要な事を今する為に、
今、百種の在り方を一変させていこうと思ってます。
いつどうなってもおかしくない世界に生きている実感をもって、今できる最善の事を見つけていく。そんなふうに思い、里カフェを中心とした今までの百種に区切りをつけたいと考えています。
突然の報告をどうぞご理解ください。
ありがとうございました。
ありがとうございました。


里カフェの食事を喜んでいただき、口コミで広めていって下さった皆様には心より感謝したい。本当にありがとう。

これからは、時代性に応じて変化し、柔軟に広がる交流の場として発酵していきたい。今年においてはまだ試行錯誤だが、様々な試みを通してこの場が生かされる形を考え感じていきたいと思う。

学びの場であり、創造の場であり、休息の場であり、交流の場。

なお、百種日記はオキナワ日記として生まれ変わり、平和の島沖縄と九州の大地をつなぐべく、思いや日常を綴っていきたい。

これからも百種をどうぞ宜しくお願い致します。
百種のホームページはこちら










2012年5月29日火曜日

revolution ain't being televised

We need the world.
Japan suffered a huge damage last year on the 11th day of March.
The tsunami and the earthquake ended the lives of nearly 20,000 people. We'll never forget.

The nuclear meltdown that occurred in Fukushima changed Japan.
People are organizing, demonstrating, cultivating, being that change.



Please support Japan in the movement to protect the little ones, to guarantee a safe future for the coming generation.

Out of the 54 nuclear power plants in Japan, none is running at the moment.
No blackouts nothing. Another world is possible.

peace and love.
from the land that knows Hiroshima, Nagasaki, and Fukushima.
SAYONARA NUKES

sign petition:

https://www.change.org/petitions/to-stop-burning-of-radioactive-disaster-debris-in-kitakyushu

九州


緊張状態が続く九州。

27日の佐賀のパレード。2000人の声。街を歩く高校生や通り過ぎる車の窓から子どもたちが笑顔で手をふってくれた。よし、希望はあるぞ。


佐賀のパレードを終え大分県は津久見市のガレキ焼却に向けた市民説明会へ。
津久見市民には心を動かされた。マイクをとり安全神話の物語の続きを語る県の職員に「わたし達はもう騙されません」と声を震わせ訴えた。この会に参加した誰もが知っていることだが、質疑応答で出た質問や意見は全て反対のものだった。もし、被害がでたら責任の所在はどこにあるのか、津久見のみかんが売れなくなったらどうするのか、輸送にかかる費用をなぜ被災地で使わないのか。。。市民の理解が得られなかったことは明らかだったにも関わらず、今日大分県と津久見市町は試験焼却を実行すると会見した。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/304947



私たちには守るべきものがある。そう信じる人々が顔を赤くし、時には目を潤ませ世界を変えようとしている。わたし達はそんな時代を生きている。なぜなら、これが最後のチャンスだと知っているから。ガンディーやマーリーのスピリットを胸に携え、声を張り上げ、太鼓を叩き、行進する。私たちは歩き続ける。

そんな中、明るいニュースがひとつ。
鹿児島県知事選に出馬する向原よしたかさん。
反原発・鹿児島ネット事務局長。南方新社の代表取締役。紳士。
応援しましょ。
http://mukohara.net/

ガレキのこと、九州の力をひとつにはできないものか。そう思います。

2012年5月26日土曜日

生きてて良かった

5月にしては少し肌寒い天気が続いています。

先日、九州をまわっていたアーティストちだ原人さんが百種に立ち寄ってくれた。この日はグリーンツーリズムで北九州から中学生を受け入れしている日でもあった。北九州と言えば、現在ガレキの処理問題で放射能の拡散を阻止しようと動いている人々の間では活動の柱のひとつとなってしまっている。北九州出身であるだけで、ガレキを思い起こさせてしまうのは、この街で育つ中学生にはあまりにこくだ。しかし、現実。
ご存知の通り北九州で試験焼却されたガレキは宮城県石巻市のもの。そして、ちだ原人さんは石巻の出身。石巻の人間が北九州の未来(中学生)に歌い語りかけるという思いがけない場がそこにうまれた。

子どもたちがおこした焚火を囲い、ちだ原人さんは歌いだし、子どもたちも手を叩き一緒に歌いだす「バビロンバンパイア〜♪」
しかし、会の目的はちだ原人さんの話を聞くこと。
なぜなら彼は去年の311に津波に流されているから。
彼の話に子どもたちは吸い込まれていった。仙台近郊の飲食店でコーヒーを飲んでいる時に彼は地震にあった。物凄い揺れに彼は店を出て、目の前で亀裂が入っていく駐車場に逃げた。同じ飲食店にいた高校生等は泣きながら親に連絡し、お店の店員は女性達に毛布を配り、会計は良いので逃げるようお客さんに指示していたという。ちだ原人さんは車に乗り込み、ラジオをつけた。ラジオ局によって伝える内容が異なることにもどかしさを感じながらも、あるラジオ局のアナウンスに耳を奪われた。「大津波警報が発令されました。ひとたまりもない大きな津波がきます」。ラジオ局にしてはどこか不自然な「ひとたまりもない」という表現に首をかしげながら、数ヶ月前に起きていたチリ沖の大地震による三陸地方への津波警報を思い返した。あの時も結局大した津波は来なかった。。。
そう思ったそうだ。

とりあえず、車の中で靴下を履き駐車場から出ようとしたその時後方にホコリをまき散らしながら迫る大きな濁流を見た。気付いた時には車の天井によじ登り、車は駐車場の間の小道を迫り来た津波に押され大きな道路へと出た。地震が起きたのは2時46分、津波が来たのは4時頃だったと言う。流されていく大きなトラック、木の上で泣き叫ぶ子ども、自らの目の前で繰り広げられるカオスに目を疑った。その後水の中に落とし込まれ、雪が舞う中寒さに凍え叫んだ。「さみー!!」その声を聞いた向かいの2階建ての建物にいた男性が短めの延長コードをベランダから吊るし、「ここまで来れるか〜!?」と叫び返した。決死の思いで重油で黒くなった濁流を泳ぎコードをつかんだ。。。

ちだ原人さんの話を子どもたちは目をまるくして聴いていた。
笑いあり涙ありのお話。311を共有するとはこういうことなのかもしれない。
ちだ原人さんはこの言葉でお話を締めくくった。
「生きてて良かった」

原発再稼働、子どもたちの被爆、ガレキの広域処理と活動のエネルギーが分散してしまいがちなこの状況だからこそ、西日本と東日本が深くつながることの重要性を強く感じる。
対話のない日本を変えていく為にも、志が同じである西と東の市民の有機的な信頼とつながりをまずつくっていきたい。
そんな中で百種を訪れ、子どもたちに魂をこめて伝えてくれたちだ原人さんにはこの場をかりて感謝申し上げたい。


2012年5月22日火曜日

i love kitakyushu

北九州に行ってきました。歴史ある街ですが、観光ではありません。

ご存知の通り、北九州市は東日本大震災で発生したがれきを受け入れ、市の施設で焼却しようとしています。何度も書きますが、東北のがれきをなんとかしたいという気持ち、何か自分にもできるのではないかという発想は大切です。しかし、残念ながらがれき受け入れを表明している自治体の構想は個々人で起こるこういった温かな心とはまったく別物です。

放射能に汚染されている可能性があるものは原則移動させないもの。そう考えています。
原発事故とはこういう性質なものだということは決して言わず、政府は「絆」キャンペーンを展開しています。

北九州市はがれきの処理を検討するにあたり市民との議論を怠りました。
わたしはがれきの広域処理に反対します。しかし、それよりも議論のない、対話のない社会、ブルドーザのように上で決めたことを押し決める社会を変えたいと思っています。

昨日は市役所に500人に押し寄せました。今日はがれきが到着し九州各地から集まっている人々でトラックをストップさせています。しかし、決定的に人が足りません。動ける人、音楽隊、対話のある社会を目指す人々、是非北九州へ。

現場のユーストリーム配信


http://www.ustream.tv/channel/iwj-fukuoka1#utm_campaign

one love.

2012年5月17日木曜日

梅園先生

2泊3日のグリーンツーリズムも今日で終わり。北九州から来た4人の中学生。うちは農家ではないが、人手を必要とする作業はけっこうある。薪運び、草抜き、畑の準備、地味な作業だが大切。農村民泊は彼らにとっては体験学習なのだが、こちらの作業が実際に助かることも多々あり、出会いに感謝。

今年はうちのお庭のイチゴがよくなってくれる。毎朝起きてはイチゴをパクパク頂くのが日課になっている。自分のパクパク具合を客観的にみながら、ブルーベリーやら野いちご達をパクパク口に放り込む息子の宇生(うみ)のパクパク具合をおもい笑みがこぼれた。やっぱり似てるな〜。

ここ国東半島には三浦梅園という大先生がいた。世間ではあまり知られていないが、天文学者であり、生物学者であり、哲学者。安岐町にある三浦梅園資料館には何度か行っているのだが、なぜか毎回眠くなってしまいちゃんと心に浸透していなかった。今回こそはとの思いで再チャレンジ。よし、今回は眠くなりそうもない。。。

彼はいくつもの書物を残しているのだが、資料館で得た学び、少しだけシェアします。
Each one, teach one.



*「変」ではなく、「常」に驚け。
私達は異変や異常には過敏に反応するのだが、常に変わらないもの、当たり前だと認識しているものに目を向ける大切さ。枯れた木に花が咲くことに驚き騒ぎ立てるのではなく、生木に花が咲くというこの事実に目を向けよう。

*「素」に帰ろう。
酒と酢を別に考えるのではなく、素である米を考えることが大切。

*「一即一一」
三浦梅園先生がとらえた宇宙の法則。最初の「一」は「気」を表し、後の「一一」は陰と陽(こざとへんは無し)を表している。気が本質であって、陰と陽は現象にしか過ぎない。すなわち、現象にフォーカスするでなく、条理を見つめよう。

*人の本性とは?
人の本性には善悪はないが、人は基本的に善に向かっている。

*「天境」と「人境」
私達はどこか人の尊さに差をつけるが(特に江戸時代)、自然と共鳴したくらしにはそれがなく、人は衣食住が満たされていれば自ずとそれそれの役割を果たす。私達は人境に暮らしており、目指すところは天境なのだと。

*師は常に自然である

少しだけ書いてみたが、資料館に行く機会、もしくは三浦梅園について調べる機会があれば是非。彼は200年前から地域通貨のようなものも提唱している。
わたしがまだ完全に理解していないので、中途半端なシェアになってしまったけれど、この時代、梅園先生の得た学びはたくさんのヒントを与えてくれるのだと思う。
この世界、いろいろな人がいる。みなさん、素晴らしき出会いを。


2012年5月2日水曜日

運転手さん

先日タクシーの運転手さんと1時間程原発の話で盛り上がった。
ここで、あまり起こらないことがふたつ。まずは、わたしがタクシーに1時間も乗車していること。かなり、ゴージャスに聞こえるがちょっと都合があって。もうひとつはタクシーの運転手さんと1時間も原発を語らうこと。

311以降ならではの日本の日常だろう。彼はがれきの問題から、再処理からチェルノブイリまで非常に詳しかった。誤解が生じないないように一言付け加えると、タクシーの運転手さんが原発についての知識があることに驚いているわけではなく、基本的に中立な立場を担う(聞き手)運転手さんが何十年もタブー視されてきた原発問題をオープンに話せる時代になったということ。それも、わたしが原発の話を始めたわけじゃないし、わたしから原発オーラが出ているはずもないので。以前、京都でタクシーに乗った時にも同じことが起きた。

人間は根本的に利害に溺れてさえいなければ、人や母なる自然を傷つけるものには心をいためるし、何かしてあげたいと思う。わたしはそう信じているし、幾度もそれを見ている。

タクシーの運転手さんの言葉で印象的だったのは、「でも、日本人は声をあげないけん、だめでしょう〜。また同じことが起きますよ」彼はあっけなくそう言った。
いや、声をあげている人はたくさんいる!と言いたかったが、メディアは決して(意地でも)その印象を市民には与えない。

人は必ず真心に味方する。愛と平和に味方する。

わたしの住む大分には津久見市のがれき受け入れに反対し行動しているたくさんの仲間がいる。ありがとう。

役割に気付いた人から、担っていこう。