自己紹介

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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2012年5月26日土曜日

生きてて良かった

5月にしては少し肌寒い天気が続いています。

先日、九州をまわっていたアーティストちだ原人さんが百種に立ち寄ってくれた。この日はグリーンツーリズムで北九州から中学生を受け入れしている日でもあった。北九州と言えば、現在ガレキの処理問題で放射能の拡散を阻止しようと動いている人々の間では活動の柱のひとつとなってしまっている。北九州出身であるだけで、ガレキを思い起こさせてしまうのは、この街で育つ中学生にはあまりにこくだ。しかし、現実。
ご存知の通り北九州で試験焼却されたガレキは宮城県石巻市のもの。そして、ちだ原人さんは石巻の出身。石巻の人間が北九州の未来(中学生)に歌い語りかけるという思いがけない場がそこにうまれた。

子どもたちがおこした焚火を囲い、ちだ原人さんは歌いだし、子どもたちも手を叩き一緒に歌いだす「バビロンバンパイア〜♪」
しかし、会の目的はちだ原人さんの話を聞くこと。
なぜなら彼は去年の311に津波に流されているから。
彼の話に子どもたちは吸い込まれていった。仙台近郊の飲食店でコーヒーを飲んでいる時に彼は地震にあった。物凄い揺れに彼は店を出て、目の前で亀裂が入っていく駐車場に逃げた。同じ飲食店にいた高校生等は泣きながら親に連絡し、お店の店員は女性達に毛布を配り、会計は良いので逃げるようお客さんに指示していたという。ちだ原人さんは車に乗り込み、ラジオをつけた。ラジオ局によって伝える内容が異なることにもどかしさを感じながらも、あるラジオ局のアナウンスに耳を奪われた。「大津波警報が発令されました。ひとたまりもない大きな津波がきます」。ラジオ局にしてはどこか不自然な「ひとたまりもない」という表現に首をかしげながら、数ヶ月前に起きていたチリ沖の大地震による三陸地方への津波警報を思い返した。あの時も結局大した津波は来なかった。。。
そう思ったそうだ。

とりあえず、車の中で靴下を履き駐車場から出ようとしたその時後方にホコリをまき散らしながら迫る大きな濁流を見た。気付いた時には車の天井によじ登り、車は駐車場の間の小道を迫り来た津波に押され大きな道路へと出た。地震が起きたのは2時46分、津波が来たのは4時頃だったと言う。流されていく大きなトラック、木の上で泣き叫ぶ子ども、自らの目の前で繰り広げられるカオスに目を疑った。その後水の中に落とし込まれ、雪が舞う中寒さに凍え叫んだ。「さみー!!」その声を聞いた向かいの2階建ての建物にいた男性が短めの延長コードをベランダから吊るし、「ここまで来れるか〜!?」と叫び返した。決死の思いで重油で黒くなった濁流を泳ぎコードをつかんだ。。。

ちだ原人さんの話を子どもたちは目をまるくして聴いていた。
笑いあり涙ありのお話。311を共有するとはこういうことなのかもしれない。
ちだ原人さんはこの言葉でお話を締めくくった。
「生きてて良かった」

原発再稼働、子どもたちの被爆、ガレキの広域処理と活動のエネルギーが分散してしまいがちなこの状況だからこそ、西日本と東日本が深くつながることの重要性を強く感じる。
対話のない日本を変えていく為にも、志が同じである西と東の市民の有機的な信頼とつながりをまずつくっていきたい。
そんな中で百種を訪れ、子どもたちに魂をこめて伝えてくれたちだ原人さんにはこの場をかりて感謝申し上げたい。


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