自己紹介

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豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2012年8月30日木曜日

〜2012年夏〜NEW YORK CITY①,6/18-6/22

最近うちの葡萄はこんな感じ。
旅から帰って嬉しかったことのひとつ。
6月の旅の報告をしながら、いつの間にか9月がもうそこまで来てる!秋の予感と共に、まだ足らない薪を眺める。焦らない、焦らない。


姉の奈々緒が住むロングアイランドでの日々も終わり、父母が生まれ育った街ニューヨークへ。
父はマンハッタンのダウンタウンでイタリア系の人々が多く住む地区で育った。小学校の同級生がロバート・デニーロだったりする。父方の家族はポーランドやロシアからの移民で彼の祖父母の世代ではイディッシュ語が話されていた。アップタウンで育った母の父親は南部いわゆる「ディープサウス」(北の暮らしとの違いを強調する為こう呼ばれる)からニューヨークで新たな機会を求めると同時に奴隷制度の名残から逃れようと北上してきた。これは彼に限ったことではなく、多くのアフリカンアメリカンが奴隷解放後も卑劣な差別やリンチが続いていた南部を離れようとした。母の母親も若くして生まれ育ったカリブの島(ジャマイカやセントビンセント)を離れニューヨークに舞い降りた移民のひとり。

わたし自身は日本で生まれ育ったのだが、このニューヨークという場所はやはり懐かしい匂いがする。この匂いに誘われて二人の姉も、そして妹も数年ニューヨークに住んでいた。

ニューヨークに着くやいなや母の高校時代からの友達のキムのところに向かった。キムは60年代ナナオサカキに京都で出会い、奈々緒(姉)の名を提案した張本人。子どもの頃からキムの所へ行けば必ず近くのインド料理屋に連れていってくれた。100歳まで生きたキムの母親のヴィッキーが健在の時はインド料理の後はアイスクリームと恒例化していた。なんとも楽しい幼少期の思い出。。。今でもあの時を思い出すと笑みがこぼれる。
そんなキムはわたし達キョウダイにとっては大切な叔父のような存在。

キムとヴィッキーについてだけでも、ブログを何回か書ける程深みのある二人なんだけれども、長くなるので今はやめておこう(!)

インド料理屋を出て、スペイン語で書かれた教会を過ぎ、韓国のファミリーが営むクリーニング屋をぬけ、イランの女性がフロントで働くアパートに着き、グアテマラ出身のキムの奥さんに電話をかけた。色彩豊かなニューヨークには常に刺激を受け、わたし自身に刻まれた無数の記憶が蘇る感覚を味わう。

6月のニューヨークは日本にも負けず蒸し暑い。ただ、夏好きのわたしにはセントラルパークの緑と空から差し込む太陽が気持ちよかった。





2012年8月22日水曜日

〜2012年旅〜Long Island③, 6/4-6/18

ケイタイ、パソコン、クルマのない自由を感じながら、自転車レーンを海へ海へと走り続けた。なんとも、開放的で身軽な毎日。

         姉のほっぺたがこぼれ落ちる程に美味しいご飯をたらふく食べ、時にはフェリーを乗り継いで彼女が友達と運営するスイーツ専門店Mali Bで過ごした。Mali Bがあるグリーンポートは本当に小さな街なのに、みんなその小ささを楽しんでいる。消防車を改造してピザ屋をしていたり、高校生が学校帰りにカフェに立ち寄っていたり。日本の小さな街もそこに住む人々が「楽しむ」ということにフォーカスすると面白いのだと思う。

 
肩のこりもとれ、必要のない心配でいっぱいになっていた心も風通しがよくなった。ありがたい。





ロングアイランド最終日は戦時中佐世保で入れ墨をいれたというすぐ近くに住むおじいちゃんの話に聞き入った。8月6日はヒロシマ、9日はナガサキ、15日は終戦記念。この戦争を経験した人々がこの世からどんどん去っていく中で、若い世代が「平和」への意識を成熟化させていき、新しい世界への提案をしていくことの大切を感じる。



ロングアイランドの日々も終わり、いざニューヨークへ!








2012年8月20日月曜日

アンナプルナ農園

旅の報告は少しお休みして8月12日にアンナプルナ農園で行われたヴェーダンタ哲学のリトリートについて共有したい。美味しい美味しいお茶をつくっていることでも有名なアンナプルナ農園は私の尊敬する正木高志さんが暮らす場所でもある。

そこで、叡智に溢れたお坊さんのお話があった。箇条書きだが、わたしが印象に残った部分を少しだけ。。。

*バランスが大切。時には厳しく、時には優しく。
*良くないことを探すのは否定的。きたないものに集るハエではなく、花が好きなミツバチになろう。人からは良い性質を学ぼう。
*現代人はすぐに結果をほしがる。インスタントフード、インスタントコーヒー、あげくの果てには知識や経験までインスタント。
*問題がある時は、自己成長がうながされている。変化が必要だというメッセージ。
*他の人のことはよく知っているけど、自分自身をあまり知らない。
*内省することは人生において車のハンドルに似ている。
*心配事の90%は実際には起こらない。過去や未来にとらわれずにこの瞬間をよく生きよう。
*安定した幸せの為には実践することが大切。「ほしい!」だけではかなわない。
*全ての力はあなたの中にある。その力を表そう。
*逃げないで直視する。やめないで、がんばる。
*問題・課題に直面したら?
①それを繰り返さない為にできることをし、実践し行動する。
②そこに存在するメッセージを何かと考える。

わたしの中途半端な解釈はさておき、ヴェーダンタ哲学が311以後の日本を生きる私たちにとって数々のヒントを与えてくれることは確かだと思う。リトリート開催にあたって心地よい空間をつくりあげていたアンナプルナファミリーと参加した皆々に合掌。

そして、呼んでくれたラビちゃん&オトさんにはビッグ感謝!ありがとう!

2012年8月12日日曜日

〜2012旅〜Long Island②, 6/4-6/18

わたしには二人の姉と一人の妹がいます。わたしを含めた下三人は日本で産まれたのですが、一番上の姉の奈々緒はデンマークで産まれました。母が当時(60年代)京都に住んでいた親友に「子どもが産まれるので良い名前はないか」と訪ねたところ、「最近、ナナオサカキという素晴らしい詩人に出逢った。ナナオっていう名前はどうだろう?」と提案したのが私の姉の名前の由来。両親が70年代に日本に行き、永住することになるとはこの時は誰も想像していませんでした。縁があったのでしょう。

ここでナナオサカキの詩集「地球B」から詩をひとつ:

「これで十分」Just Enough

足に土                 Soil for legs
手に斧                 Axe for hands
目に花                 Flower for eyes
耳に鳥                 Bird for ears
鼻に茸                 Mushroom for nose
口にほほえみ     Smile for mouth
胸に歌                 Songs for lungs
肌に汗                 Sweat for skin
心に風                 Wind for mind


姉の住むロングアイランドは東西に190km程あり、アメリカでも最も大きな島のひとつ。島と言ってもアメリカ東海岸にほとんどくっついているのだが。この島のSag Harborという小さな町に家族5人で暮らしてる。

ここロングアイランドにも原発がつくられようとしていたのだが、地元の漁業者が中心になり、法的に原発の不必要性を訴え勝利した。Japan Timesでも度々取り上げられた話だが、この裁判で弁護士を務めたのが姉の旦那の父親。

奈々緒の家は林の中にある。ロングアイランドは富裕層が多く住むことでも有名だが、この場所で生まれ育った旦那のErlingは自ら土地を開墾し廃材などを利用して工房と家を建てた。




Erlingは地域での信頼も厚く多様なプロジェクトに関わっている。彼の工房は仕事場でありながら、井戸端会議場でもあったりする。真剣に家具をつくりながらも、音楽が鳴り響く中みなどこか楽しく仕事をしている。彼が代表を務める協会のひとつがアート、文化、そして宗教をテーマとした集まり。文化と宗教の境界線があまりはっきりしない日本とは反対にアメリカは特に9・11以降、イスラム教とキリスト教の対立構造のようなものがメディアを中心に形成されていった。彼らが捉える宗教とは宣教的なものではなく、物事を深みをもって感じるきっかけのようなもの。これから、ジャーナルをつくるということでさっそくセクとジャーナルのタイトルなどの議論に入っていた。


わたしも国東の仲間達と「国東源帰新聞」を発行し、デジタル化していく世界の中で活字の力を感じている。Erlingが言うには、アメリカから出て行くもの、輸出されるものは文化や情報の世界では多くあるが、入ってくるものが意外と少ないと。例えば、日本で起きていることも耳にはするが、あくまでもメディアの視点であって、人と人同士のつながりをもっと可視化することができるのではと言っていた。

アメリカに降り立った直後は日本で大きな転換期になっている3・11が既に忘れ去られようとしていることに少しびっくりした。世界中で様々な事が起きているので無理もないのだが、日本から外へ発せられるメッセージは本来意義深いものではるはずなのに、あまり届いていないのが現実なのかもしれない。やはり、ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマを知るこの列島だから表現できるものがあると信じたい。

2012年8月8日水曜日

〜2012旅〜Long Island①, 6/4-6/18

日本を飛び立ったのは6月4日の午後4時くらい。ニューヨークのジョン・F・ケネディー空港に降り立ったのが6月4日の午後1時くらい。日本を飛び立った約3時間前にアメリカへ到着。得した気分。もちろん時差の関係でこうなるのだが、子どもの頃はこれがよく理解できず飛行機はある種のタイムマシーンだと思っていた。同じ列の向こう側では二人の幼子に苦戦するお母さん。お兄ちゃんはしばらくして眠りについていたが、妹のおチビはニューヨークまでの12時間ほとんど泣いていた。子守唄もダメ、絵本もダメ、お菓子もお乳もダメ。しんどかったんだろう。がんばれ、世界中のお母さん!


5年ぶりのアメリカ。
空港にたどり着き、姉の住むロングアイランドに向かう為タクシーに乗り込み、クイーンズにあるロングアイランド行きのバス停へ。バスが30分程遅れて来たこともあって、この「バス停」とされる場所が本当にバス停なのかしばらく疑った。バスが到着し、乗り込むと18歳くらいのガイドさんがひとりひとりに水とスナックを配ってまわっていた。ニューヨークとロングアイランドを結ぶこのバスは夏の間高校生がバイトでガイドをしている。それも、ロシアや東ヨーロッパから英語を学びがてら来ている青年が多い。英語を喋る時にアクセントもだいぶあるのだが、誰もあまり気にしない。日本もこれくらいの気楽さがあるといいのだが。どっかの国の高校生が片言の日本語でバスのガイドをしている風景があっても良い気がする。まあ、インドネシアやフィリピンの青年が次から次へと看護試験で落とされてしまう現状をみると「片言文化」は日本ではしばらくの間は芽生えないのだろう。

例えば、アメリカのように英語を公用語として話す国で片言の英語でたくましく生きている人々は多くいる。彼らの存在がアメリカのような国を陰で支え、文化を多様化させている。このアメリカという大国は先住民から大地を奪い、ヨーロッパから多くの移民を迎え、アフリカの民を奴隷ににし築き上げられた。残酷な歴史がはらむが故にこの地から創造される文化もまたすごい。


2時間後、ロングアイランドの小さな町に着いた。
かの有名な詩人ナナオサカキにちなんで名付けられた姉の奈々緒に会うのもなんとも久しぶり。。。





2012年8月4日土曜日

地球家族

長旅も終わり九州の地に帰ってきました。
今回の旅で観たもの、得たもの、学んだもの、楽しんだもの、ブログを通して何回かに分けて共有していきたいと思います。
2ヶ月程離れていたのですが、帰ってくるとやはり多くの人が口を揃えて聞く。
「どうだった?」

わたしにとって旅をするということは、知らない土地を感じ、同じ人間が違った環境でどのような暮らしをしているのか観て、自らが慣れ親しんだ場所を一時的に離れ期待や使命感のないところで休息と共に物事を内省する機会なのかなと思っています。

「どうだった?」と聞かれ、「うん、すごく良かった」としかとりあえず答えられないことにもどかしさを感じながらも、「素晴らしい気付きがあった!」と言う訳でもなく。。。だからこそ、ここで少しずつ自分自身の整理も含め今回の旅をもう一度心の中で旅してみたいと思います。

「観光」とは、旅好きにはどこか好まれない言葉なのかもしれない。
しかし、旅をする度に観光が意味する「る」ということを考える。
光はある人にとっては壮大な自然、ある人にとっては美しい建造物、又は食文化。
わたしにとって旅においての光は常に人だった気がする。人類みな兄弟(地球家族)であること、世界はひとつであることを体感できる時こそわたしにとって旅の醍醐味。

写真と共に定期的にアップしていきます。
どうぞよろしく。