わたしには二人の姉と一人の妹がいます。わたしを含めた下三人は日本で産まれたのですが、一番上の姉の奈々緒はデンマークで産まれました。母が当時(60年代)京都に住んでいた親友に「子どもが産まれるので良い名前はないか」と訪ねたところ、「最近、ナナオサカキという素晴らしい詩人に出逢った。ナナオっていう名前はどうだろう?」と提案したのが私の姉の名前の由来。両親が70年代に日本に行き、永住することになるとはこの時は誰も想像していませんでした。縁があったのでしょう。
ここでナナオサカキの詩集「地球B」から詩をひとつ:
「これで十分」Just Enough
足に土 Soil for legs
手に斧 Axe for hands
目に花 Flower for eyes
耳に鳥 Bird for ears
鼻に茸 Mushroom for nose
口にほほえみ Smile for mouth
胸に歌 Songs for lungs
肌に汗 Sweat for skin
心に風 Wind for mind
姉の住むロングアイランドは東西に190km程あり、アメリカでも最も大きな島のひとつ。島と言ってもアメリカ東海岸にほとんどくっついているのだが。この島のSag Harborという小さな町に家族5人で暮らしてる。
ここロングアイランドにも原発がつくられようとしていたのだが、地元の漁業者が中心になり、法的に原発の不必要性を訴え勝利した。Japan Timesでも度々取り上げられた話だが、この裁判で弁護士を務めたのが姉の旦那の父親。
奈々緒の家は林の中にある。ロングアイランドは富裕層が多く住むことでも有名だが、この場所で生まれ育った旦那のErlingは自ら土地を開墾し廃材などを利用して工房と家を建てた。
Erlingは地域での信頼も厚く多様なプロジェクトに関わっている。彼の工房は仕事場でありながら、井戸端会議場でもあったりする。真剣に家具をつくりながらも、音楽が鳴り響く中みなどこか楽しく仕事をしている。彼が代表を務める協会のひとつがアート、文化、そして宗教をテーマとした集まり。文化と宗教の境界線があまりはっきりしない日本とは反対にアメリカは特に9・11以降、イスラム教とキリスト教の対立構造のようなものがメディアを中心に形成されていった。彼らが捉える宗教とは宣教的なものではなく、物事を深みをもって感じるきっかけのようなもの。これから、ジャーナルをつくるということでさっそくセクとジャーナルのタイトルなどの議論に入っていた。
わたしも国東の仲間達と「国東源帰新聞」を発行し、デジタル化していく世界の中で活字の力を感じている。Erlingが言うには、アメリカから出て行くもの、輸出されるものは文化や情報の世界では多くあるが、入ってくるものが意外と少ないと。例えば、日本で起きていることも耳にはするが、あくまでもメディアの視点であって、人と人同士のつながりをもっと可視化することができるのではと言っていた。
アメリカに降り立った直後は日本で大きな転換期になっている3・11が既に忘れ去られようとしていることに少しびっくりした。世界中で様々な事が起きているので無理もないのだが、日本から外へ発せられるメッセージは本来意義深いものではるはずなのに、あまり届いていないのが現実なのかもしれない。やはり、ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマを知るこの列島だから表現できるものがあると信じたい。
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