旅から帰って嬉しかったことのひとつ。
6月の旅の報告をしながら、いつの間にか9月がもうそこまで来てる!秋の予感と共に、まだ足らない薪を眺める。焦らない、焦らない。
姉の奈々緒が住むロングアイランドでの日々も終わり、父母が生まれ育った街ニューヨークへ。
父はマンハッタンのダウンタウンでイタリア系の人々が多く住む地区で育った。小学校の同級生がロバート・デニーロだったりする。父方の家族はポーランドやロシアからの移民で彼の祖父母の世代ではイディッシュ語が話されていた。アップタウンで育った母の父親は南部いわゆる「ディープサウス」(北の暮らしとの違いを強調する為こう呼ばれる)からニューヨークで新たな機会を求めると同時に奴隷制度の名残から逃れようと北上してきた。これは彼に限ったことではなく、多くのアフリカンアメリカンが奴隷解放後も卑劣な差別やリンチが続いていた南部を離れようとした。母の母親も若くして生まれ育ったカリブの島(ジャマイカやセントビンセント)を離れニューヨークに舞い降りた移民のひとり。
わたし自身は日本で生まれ育ったのだが、このニューヨークという場所はやはり懐かしい匂いがする。この匂いに誘われて二人の姉も、そして妹も数年ニューヨークに住んでいた。
ニューヨークに着くやいなや母の高校時代からの友達のキムのところに向かった。キムは60年代ナナオサカキに京都で出会い、奈々緒(姉)の名を提案した張本人。子どもの頃からキムの所へ行けば必ず近くのインド料理屋に連れていってくれた。100歳まで生きたキムの母親のヴィッキーが健在の時はインド料理の後はアイスクリームと恒例化していた。なんとも楽しい幼少期の思い出。。。今でもあの時を思い出すと笑みがこぼれる。
そんなキムはわたし達キョウダイにとっては大切な叔父のような存在。
キムとヴィッキーについてだけでも、ブログを何回か書ける程深みのある二人なんだけれども、長くなるので今はやめておこう(!)
インド料理屋を出て、スペイン語で書かれた教会を過ぎ、韓国のファミリーが営むクリーニング屋をぬけ、イランの女性がフロントで働くアパートに着き、グアテマラ出身のキムの奥さんに電話をかけた。色彩豊かなニューヨークには常に刺激を受け、わたし自身に刻まれた無数の記憶が蘇る感覚を味わう。
6月のニューヨークは日本にも負けず蒸し暑い。ただ、夏好きのわたしにはセントラルパークの緑と空から差し込む太陽が気持ちよかった。
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