自己紹介

自分の写真
豊後高田市, 大分県, Japan
アメリカ人である両親を持ちながら、日本の片田舎で生まれ育ち、自分はどこに属するのか、国籍とはなにか、国とは何か、どうしたら世界の平和は訪れるのかと幼い頃から考えてきました。もちろん、答えにはたどり着いていないのですが、自らが考えることや思うことを言葉にしたり、文章にしたり、時に対話する場をつくったりすることでより良い社会の実現を目指しています。

2013年12月9日月曜日

MANDELA

無事に福岡と豊前でのトークが終わった。楽しい時間をありがとう。



12月5日、ネルソン マンデラが亡くなった。南アフリカの父として親しまれ、アパルトヘイトに反対する運動を国内外に発信した。1964年には国家反逆罪で27年間投獄された。27年間。
1994年には南アフリカの大統領に就任し、民族間の和解と対話に向けた政策をすすめた。

ネルソン マンデラを連想する時に、多くの人は彼の笑顔を思い浮かべるのではないかと思う。27年間不当な理由で刑務所で過ごしたにも関わらず、彼から憎しみの言葉はでてこない。無論、人々は彼を聖人と呼ぶ。ぼくもそんな風に思う。しかし、彼は常に強調して言うのだ。成し遂げられた多くの事柄は決して彼自身のものではなく、ひとつの共同体としての功績なのだと。ヒーローではないと。

1990年、釈放されたその年に彼は世界を飛び回り各地で支援を求めた。
立ち寄った先のひとつがここ日本。
まったくの躊躇もなく、その場に行くことを決めたぼくの母はこの歴史的な時を娘と共有したいとの思いで、彼女の中学校の担任に相談した。ぼくの姉の担任も素晴らしい機会だと母に共感し、学校を休んで東京に行くことに同意した。

ぼくたちは幾度となく、平和な世の中を築こうとする先人に出会う。
かれらの言葉や行動は次第にぼくらのものとなり、ぼくらに力を与えてくれる。
そして、気づかせてくれる。
Be the change you wish to see in the world. 
ぼくたちが変化になるんだ。




2013年11月28日木曜日

師走のトーク

今日はまたぐっと寒くなった。
色づいた山も少しずつ葉をからしていく。
寒い冬も心はぽかぽかで迎えたい。


















12月1日は福岡でイベントに参加します。楽しみです。
詳細は以下の通りです:


12月1日(日)
アントン眞理雄お話会 午後1時〜
参加費 500円
村上レシピ」  福岡県筑紫郡那珂川西畑155
092−953−3921



12月7日(土)
アントン眞理雄お話会 午後1時〜
参加費 1500円(飲み物&おやつ付き)
農家民宿 まんてん星」 福岡県豊前市大字篠瀬95
080−6443−9562



2013年11月7日木曜日

ボブとナーガとゴウジュン 11/9

今日は少しだけ宣伝。
久しぶりに百種MOMOKUSAでのLIVE。
平和の歌をうたい続ける内田ボブと地球を詠む詩人、ナーガ。
LIVE前には国東半島両子寺僧侶の寺田豪淳さんの話もある。



    〜内田ボブ&ナーガLIVE!〜

日時:11月9日(土)
   17:00 開場
   18:00 寺田豪淳トーク
   19:00 内田ボブ&ナーガLIVE
 場所:百種MOMOKUSA
              豊後高田市松行9−1
    http://www.momokusa.com/access/
料金:シングル 事前予約 1500円  当日2000円
   ペア   事前予約 2500円  当日3000円
   (18歳以下は無料)
食事:百種弁当   700円
   蕗の薹 そば 600円
   あやかキッチン
予約:info@momokusa.com
            090-5726-5815(チャック)



2013年10月23日水曜日

屋久島


屋久島と言えば、「世界遺産」であることをまず思い浮かべるだろう。ぼくもそうだ。
今回、初めて屋久島に足を踏み入れた。一日目はフェリーの欠航で、火山灰が降る鹿児島市にもう1泊。翌日、条件付き(波が高ければ港に戻る)で出港したフェリーはファンタジー映画にでもでてきそうな火山島(硫黄島)を横切りながら、屋久島に入港した。屋久島は世界で最も降水量の多い場所のひとつだ。だから、晴れ間は期待しないことにした。

ぼくが住む国東半島に形も大きさも良く似た屋久島は周囲135キロ。車があれば、海岸線をぐるっと1周できる。国東半島の最高峰は両子山720メートル。屋久島の最高峰は宮之浦岳1936メートル。九州で1〜7番目までの標高をほこる山々がこの小さな島にあると言うからびっくり。冬になれば、標高の高いところでは雪が1メートル積もることもある。更に集落が点在する海沿いは南の島らしく、ブーゲンビリアやヘゴの木なんかも見られる。今回は3日しかなかったので白谷雲水峡、ヤクスギランド、そして宮之浦岳を訪れることにしていた。

屋久島の森は本当にもののけの森だった。ぼくのカメラではその圧倒的な存在感を写し出すことはむずかしい。「杉」と言えば今では荒れた森の代名詞のようになってしまったが、杉の本来の姿を見させてもらった気がした。神社やお寺で見るようなたくましい杉がモミやツガなどの大木と共に根深く、空高くそびえ立っていた。


屋久杉は江戸時代から本格的な伐採がはじまったそうだ。
島は屋久杉を販売することで得た恩恵も大きいが、失ったものは更に大きいのかもしれない。ただ、こうして現在を生きるぼくがまだ屋久島の森に入って感動できるのも、70年代くらいから急ピッチで行われた保全活動があったからこそなのだと思う。


屋久島は世界遺産だが、きっと地球上のどの場所も世界遺産であったことを忘れてはいけない。過剰な都市化や産業化に罪を着せることは簡単だが、それらが起きた時には起きた時の事情と現実がある。だからこそ、失われたものに憂うだけでなく、再生できるものに希望を見いだすことを心に刻みたい。
ぼくたちが、「今」に責任をもつことで、世界の遺産は過去のものでなく、これからのものになっていくのだと思う。



宮之浦岳ではまさかの晴天に恵まれ、ウキウキ気分で下山した。
途中、あまりの美しさに我慢できず川に飛び込んだ。冷たい!そして、なんだか嬉しい。




2013年10月7日月曜日

お話会

昨日、沖縄から九州へ帰ってきた。台風がさったかと思えば、もうひとつ大きいのがきている。ただ「台風がさった」とは言っても、さった台風は今中国にたどり着き、大きな被害を及ぼしている。自然は時に猛威をふるうが、国境など存在しないことを教えてくれたり、困っている人に何かしてあげたいなどの慈悲の心を大きくしてくれたりもする。


今日は久しぶりのお話会。
以前もお話会を企画してくださった中津市にあるカフェ「クラック」。
今回は夏にヨーロッパに行って見て感じたことを中心に、話ができたらと思っている。

このブログを読んで下さっている方、ぼくのトークに参加したことがある方ならだいたい分かると思うが、人前で話をする機会を頂いた時にぼくは自らの生い立ち(ルーツ)を中心に話す。ルーツといっても、さかのぼるのはだいたいひいお爺ちゃんくらいまで。
アメリカ国籍を持ったぼくが、日本で生まれ育ち、アメリカや南米で過ごしながら、どのようなことに葛藤を感じ、どのような世界観に希望を感じるのか、そんなことを聞き手のみなさんと共有させてもらっている。

同時にぼくにとって質疑応答の時間もとても大事な時間。話を聞いて、疑問に思ったこと、異議を唱えたいこと、もっと深く話し合いたいこと、それらをすくいあげ皆で言葉にしていく。一方的な話で得る情報は時がたてば次第にうすれていく。しかし、自らもその議論に加わり、頭をひねらせ、人の意見に耳を傾けたアクティブな時間は自分のものになる。だからこそ、ぼくにとってトークは場づくりでもある。
これからもいろいろなところで場づくりをしていきたい。








2013年9月18日水曜日

黒糖の色

今夜もきもちい風が吹いている。
家中の窓が開いてるので、四方八方から心地よい風。秋だな。そして、冬が来る。。。
日本に帰ってきてから、初の投稿。時差ぼけやなんやかんやでどうもブログまで手が届かなかった。



大学時代、校内のラジオDJをやっていたことがある。すごく小さな大学だったので、リスナーはわずかだったと思うけど、友人とお気に入りのヒップホップの曲をセレクトしては語り合っていた。こちらに帰ってきて、家の掃除をしながら、昔聞いていた曲に耳を傾けていた。

久しぶりに聞いたBlack Starの曲「Brown Skin Lady」
この曲はその名の通り肌の茶色い女性に捧げた曲。
アメリカでは奴隷制度にはじまり、何百年もの間、肌の色を理由に、アフリカにルーツを持つ多くの人々が人間以下の扱いを受け、50年前までは人種隔離政策が合法な状態だった。その環境の下で自らの容姿やルーツに誇りをもち、自尊心を保つことは不可能に近かったと考えても良い。そのような中でも1700年代後半からの奴隷解放運動やキング牧師を中心とした公民権運動、1970年代のブラックパンサー党など、いわゆるアフリカ系アメリカ人の権利運動は様々な形で行われた。

しかし、いまだにアジアであれ、ラテンアメリカであれ、アフリカであれ、特に女性は肌が「白い」方が美しいという観念は雑誌や映画などで広く宣伝されている。

こんなことを考えはじめたのも、カネボウの「美白クリーム」を使った何千人もの女性が皮膚に深刻な症状が表われたというニュースを聞いてだ。肌や皮膚は言うまでもなく、人それぞれで、ケアの仕方もいろいろだと思う。
しかし、この「美白」という概念は既に時代にそぐわない。特に美意識に敏感な女の子にとって、「白」とは縁遠い肌の色をしていたら、白いことが美しいとされる社会の中にいればそれはいつしか窮屈な社会になっていくだろうし、本来いろいろな形がある「美」という概念を固定化してしまうことも望ましいとは思えない。常に多様化していく世界において、多数の常識や価値観が少数にどのような影響を与えているかを意識できる社会こそ成熟した社会だと思う。

以前、幼稚園で教えている時に茶色い肌をしたぼくが「肌色」という色に違和感を感じる話をしたら、園児の皆がすんなり理解してくれたことを思い出す。

各地域や国でうまれた美意識や美的感覚はきっと存在すると思う。しかし、どの社会にも少数と呼ばれる人々がいて、みなが心地よく生きていける社会こそ価値があると思う。

黒糖色のぼくの娘も自身の美を疑うことなくたくましく生きていける社会を創っていきたい。










2013年9月4日水曜日

スウェーデン日記④(Final)

ヨーロッパの旅も今日で終わり。
6日間のベルリンでの時を経て、姉のいるストックホルムに帰ってきた。
まったく知らなかったこの土地がいつの間にか「帰ってくる」場所になっていることが嬉しい。

どこかピカピカなイメージがあるストックホルムとは違い、ベルリンの街はいわゆる「途上国」的な要素が見え隠れするファンキーな街だ。友達がいるのは、アーティストやアナーキストが多く集まるヘルマンプラッツ。街の至る所にグラフィティや落書き。ストックホルムのように市民の多くは自転車で移動しているが、自転車レーンはストックホルム程しっかりしていない。いい意味で「適当」な空気が漂っている。社会の不公平に対し声を上げる文化や、自由に自らのアートを表現する文化も根深い。

政治や緑の党に関心がある自分としては、ドイツが選挙期間中だったこともおもしろかった。選挙ポスターの違いや、緑の党の浸透ぐあいも勉強になった。このポスターにある白髪の男性ともベルリンで出くわし話ができた。

80年代から緑の党を支持しているという友達の男性は「フクシマの後、メルケル首相も脱原発になった。経済もいい。緑の党の存在意義があまりなくなってきているのかもしれない」との意見。ドイツでラジオDJをしている別の知人は日本で緑の党が誕生したことをラジオのニュースでも取り上げていたと伝えてくれた。ベルリンに住む多くの人にとって日本はどこか憧れの場所のようだ。しかし、フクシマ以後、日本行きを断念したとの声も何度か聞いた。日本の危機をチャンスにするには世界中のあらゆる失敗や知恵に謙虚に学ぶ必要性を感じた。

いよいよ明日日本へ帰る。

ここストックホルムはと言えば、空気もだいぶ冷たくなり秋の香りがしている。
今日からオバマ大統領のスウェーデン訪問とあって、警察官やヘリコプターを多く見る。アメリカ大統領がスウェーデンを訪れるのは史上たった2回目だそうだ。
スウェーデンと言えば、ノーベル平和賞のノーベルが産まれた場所であり、4年前にはオバマ大統領も隣国の首都オスロでノーベル平和賞を授与された。。。
シリアでの内乱が一層激しさを増す中、命を落とした無数の数の人々に思いを馳せる。
武力での解決は存在しない。世界中の人々が声をあげている。
そんな中、スウェーデンはシリア難民に対し無条件で永住権を与える決断を下したそうだ。



ここでの体験を少しでも共有できればとの思いで、今回のストックホルムへの滞在を中心
とした旅を「スウェーデン日記」として4回に分けてブログに掲載してみた。
 読んでくれてありがとう!

Big up to my sister Mie and my parents for making this trip happen! One love.




2013年8月24日土曜日

スウェーデン日記③(ノルウェー1人旅)

スウェーデンのお隣、ノルウェーへ行ってみることにした。
ヨーロッパに来てまず驚くのが飛行機でひっととび(時には電車や車でも)でまったく別の国に行けることだ。ノルウェーはスウェーデンからはバスでも行けるし、電車でも行けるが、安さ故に飛ぶことにした。お目当てはいつかは見てみたいと思っていたフィヨルド。フィヨルドとは、ノルウェー語で「内陸部に深く入り込んだ湾」という意味らしい。

首都オスロから、ベルゲン急行に乗り西へ向かうというポピュラーなルートでフィヨルド地方を目指した。ベルゲンはノルウェー第2の都市で、降りなければオスロから7時間くらいで辿り着く。西に近づけば近づくほどのどかな麦畑の風景からダイナミックな山々へと変わっていく。ハイキングやマウンテンバイクを楽しむ為に途中下車する人も多い。自分はと言えば、オスロから標高1237m地点(!)にあるフィンセという駅を過ぎ、ミュールダルという町で下車し、そこから観光路線として人気の登山鉄道・フロム鉄道に乗りかえ、フロム渓谷を降りて行った。ここで、列車の窓から壮大な景色を見ながらひとつめの失敗に気付く。ミュールダルからフロムまでは自転車で下るべきだった!
列車の窓から見えたのは、ありえない風景の中を壮快にマウンテンバイクで下る人々。。。マウンテンバイクをミュールダルの駅でかりられる事はなんとなく知っていたが、ミュールダル駅に着くのは午後6時だし、地形もよくわからないし、1人だしと弱気になって自転車はあきらめていた。しかし、ここは8月の北欧。午後10時近くまで明るい。悔しさを感じながらも、列車からの大自然を楽しんだ。

フィヨルドの畔に位置するフロムに到着するやいなや、観光案内所に行き、周辺のハイキングマップをもらった。1人なので、無茶はできないがフィヨルドを肌で感じたいと思った。北欧の人のほとんどはびっくりするぐらい英語が上手で、すごく助かる。観光案内所のお兄さんはいくつかのルートを説明してくれたが、最後にこう付け加えた。「しばらく雨だから、景色はあまり楽しめないだろうな」。。。とりあえず、天気のことはあまり考えずにホステルにチェックインして、せっかくなのでトナカイバーガーを食べて、その日は休むことにした。

お兄さんの予想通り朝から雨だ。でも、雨の中を歩くのは慣れているし、可能な限り準備もしてきた。今日は歩く。フロムから出ているフェリーに乗り込み、まわり一体に広がる景色を見ながらアウルランに到着した。フェリーには100人くらいの観光客らしき人が乗っていたがアウルランで降りたのは自分だけ。とりあえず、ガイドブックに載っていたステーガスタイン展望ポイントを目指すことにした。村の中心から7キロ、往復で14キロ。まずは、水を買う為にスーパーを探す。ここで、ふたつめの失敗に気付く。今日は日曜日、つまりどこもやってない。しょうがない、とりあえず歩こう。良かれ悪かれ水はあまり飲む方ではないし、フィヨルドから滴る滝もある。展望ポイントまでは登山道は特になく、車道があるだけ。雨とはいえ、観光バスは上を目指していた。海抜0mから始まり、200mくらいになってくると、目線も明らかに変わり、下からは見えなかった山なども顔を出した。この山々(崖)のすごさは海から直接1000m以上もそびえ立っているところ。景観の美しさも気になるが、同時に飲み水のことや、熊はいるのかなど余計なことも気になりだした。そろそろ、滝の水でも飲もうかと思った時、道の脇に無数の赤い点があることに気付いた。ラズベリーだ!雨水もいい感じでのっかてちょうど良い水分補給。

展望ポイントは標高700mくらいのところにあった。
霧がかかっていることで、より幻想的。
山を降りた後は再びフェリーに乗り込み、この入り江をすすんでいったわけだが、最深部は1300m以上もあるというからすごい。

そして、最後の失敗がフィヨルドを1人旅したということ。
もちろん、失敗は成功のもとなので学びはあるのだけれど。
この感動を分かち合いたいと思った。
新しい環境だからこそ人と共有する喜びをほす自分がいる。
ご飯自体が美味しくても、1人で食べるのと、誰かと食べるのがまったく違う経験であるように。だからこそ、自分にとって旅のダイゴミは常に人との交流!
Norway、また来たい。






2013年8月16日金曜日

スウェーデン日記②

天気によって気分がころころ変わる自分。
今日は朝から雲ひとつない晴天だ。きもちいい!
姉の美枝が住むのはストックホルムの中でも古都と言われるガムラスタン。ストックホルムを訪れたことがある人なら必ず足を運ぶこの街の中心だ。

どこにいてもそうだが、太陽の光に当たるとその場所はみるみるうちに輝く。沖縄であっても、ハワイであっても、国東であっても、ここストックホルムであっても同じだ。特にこの街の色鮮やかな外壁は光がよく似合う。

今回は姉の所に来てるとはいえ、1人旅みたいなもの。物事を人と共有することが好きなわたしとしては、1人旅のどこか物足りなさを感じながらもひたすら歩く。ストックホルムの街くらいだったら、なんとなく歩いているとどこかに辿り着くし、どこを歩いても美しい。

この街を歩いていると、地球環境の危機もどこか遠い話に聞こえてしまうような感覚に陥る。それもそのはず、スウェーデンと言えば、環境先進国であると同時に世界幸福度指数では必ず10位以内に入るような国だ。幸福度指数が何を根拠にしているのかは分からないが、デンマークが1位で日本が90位なことにはどこか納得してしまう。。。
街であるが故に物に溢れたマテリアルな地区もあるが、風土を尊重する文化はかなり深いところで根付いている。

風土だけではない。人への尊厳や多様性もそうだ。

こちらに来て気付いたことがある。10代や20代の若者が身体などに障がいをもった友達と「普通」にお茶をしてたりする。この当たり前にあっていいような光景があまりない日本から来ると、当たり前に障がいをもった友達とお茶をしながら彼氏の話をしてたりする女子高生にはっとさせられる。学校システムの違いなんかもあるのかもしれないが、双方にオシャレをして街をぶらついている姿はどこか新鮮だ。

あまり長くない夏を思いっきり楽しもうと、ストックホルム各地で様々なコンサートやイベントが行われている。先日、スウェーデンの国会議事堂にあたる建物の目の前で北アフリカ(もしくは中東)のロックバンドのライブをみた。そこには、1000人くらいの人がいた。
わたしは観客の多様性にあっけにとられた。肌の色や国はもちろんのこと、小さな子どもから、若いカップル、おじいちゃん、おばあちゃんまでもが月夜の下、音楽を楽しんでいた。
その時、三宅洋平さんの言葉を思い出した。「世界の闇や悪を暴露する時代ももう終わりです。変わったんだってことを強く優しく大きく太く伝えていきましょう」。そう、世界は既に変わっている。
「国家」が変化についてきてないだけなんだ。

だから、本来はもっと深いはずのものを「日中関係」とかいう表現でまとめてしまう。
村であれ、県であれ、国であれの方向性に強い関心を持っている多くの人が国家や、市町村のドアをノックして、仲間に入れてもらい、世界中の人の望み(平穏かつ豊かな暮らし?)の実現に向けて政治に関わるとおもしろいと思う。そう思った。

日本国籍を持っていたら、5秒で市議会選挙でもなんでも立候補してるけどな〜。


話は変わるが、80年代、南アフリカのアパルトヘイトを見て見ぬ振りをしていたいわゆる先進国のリーダーとは裏腹にスウェーデンの首相は南アフリカの非人道的な政府を公の場でしっかりと非難し続けた。結果的にその首相は何者かに暗殺されてしまうのだが、そのような人が首相になることに感銘を受ける。
「国」や「村」の集合意識はどのようにつくられるのか。
哲学者、内山節さんが暮らす群馬県の上野村もそうだ。
上野村や祝島の人々が持つ村や島への愛はなぜ生まれるのか。
ゴルフ場や砂防ダムの建設を拒む地域と受け入れる地域の差はどこでうまれるのだろうか。アパルトヘイトに反対し、原発もやめれる国と、例えば原発を推進する国の差はどこでうまれるのだろろうか。
そんなことを考えながら、行き行く人々を眺めていた。


2013年8月12日月曜日

スウェーデン日記①

姉の美枝がストックホルムに引っ越したのは2012年1月。
わたしたち4人キョウダイで現に日本に住んでいるのはわたしだけ。
去年はアメリカの東と西両海岸にいる姉と妹を訪ねた。今年は両親も駆けつけるとのこともあってほぼ10年ぶりのヨーロッパだ。

旅する前から何かといい流れだったのだけど、極めつけにフィンランド行きのフライトがビジネスクラスへと繰り上げされた。ラッキー!あまりの心地よさに目を閉じることも忘れ、窓の外に広がるロシアの広大な大地を延々と眺めていた。目的地も去ることながら、この移動という名の宇宙旅行も悪くない。
そもそもこの旅に出たのも人生に何らかの転機を求めているからだと思う。実際に「転機を求めている」と文章にしてしまうと恥ずかしいが、きっとそれが事実だと思う。

ただ、慣れ親しんだ文化や風土の外に出てみると、新しい発見はもちろんのこと、自らが住んでいる場所の理解も深まったりする。


今回はここストックホルムに1週間くらい滞在する中で感じたものを写真を交えて紹介したいと思う。

まず、どこに行っても子どもが多い。そして、子育てにおいては老若男女みなが参加しているというイメージ。ベビカーをおしながら、散歩する夫婦、女友達、男友達。


そして、至る所にあるベンチ。日本は昔から縁側文化があるのだけれど、最近の街にはあまりベンチをみかけない。こちらのベンチはただ設置してあるというより、「ここで一休みして下さい」という意図的なメッセージがある。







そして、バス、船、馬車、路面電車などの交通機関の充実や自転車レーンにもびっくりする。わたしみたいな観光客が自転車レーンを知らずに歩いてると、四方八方から「チリンチリン」の大合唱。こんな自転車用ヘルメットも普通に販売している→スウェーデンの透明ヘルメット! そして、街中に自転車用の空気入れが設置してある。

お店などに行って感じるのが物の機能性とデザイン性。北欧のデザインは日本でも人気があるのだけれど、こちらに来てみるとホームセンターのような所に行くだけでギャラリーに行くような驚きがある。
やはり、国の風土や文化はその土地の自然と人がつくるのだと思う。今後はそれらにもう少し思いを馳せていきたい。



2013年8月7日水曜日

栂池の哲学

1945年、8月6日、午前8時15分。あれから68年。
わたしたち地球人はこの日を忘れない。そして、伝え続ける。


夏の中山道のツアーも終わり、長野で数日過ごすことにした。長野に行ったことがある人なら分かると思うけど、とにかくこの県は広い。そして、山々が圧倒的に美しい。

8月3日〜4日にかけて栂池(つがいけ)高原で農文協主催の哲学講座に参加した。講師は内山節さん。参加者は農業に携わる人を中心に、多様な物語をもった15人程のメンバーで構成されていた。1泊2日で内山さんのお話が4回、質疑応答で議論は更に深まり、交流会という形で夜までいろいろな意見や思いが飛び交った。素直に楽しかった。
テーマは「生きる世界の再建のために」だ。

内山さんは「世界」という概念について話をすすめた。。。

「世界」はわたしたちの生きる小さな「世界」からいつから地図上の「世界」へとなっていったのか。良かれ悪かれわたしたちがどこに住んでいようと広い意味での世界とつながっていることは否定できない。しかし、全体の世界が大きくなるに連れて世界の実態がぼやけていく。今、多くの人が世界というと分割された世界を考えてしまう。経済、政治、文化。。。しかし、昔の共同体の中には統合された世界があった。その要因のひとつが世界の捉え方にあるのだと内山さんは言う。現在の世界は知性で捉えるから分割されてしまう。例えば、共同体のように感覚的に捉える世界では畑を耕すことと、山仕事をすること、大工仕事をすること、神仏を信仰することは分割してとらえられない。単に「暮らしてる」ことになる。

近代社会は統合性がないが故に政治にせよ、経済にせよ、解決が見いだされにくい。そして、いつの間にか「世界」がどんどん遠くなってしまっている。ほんとは大事なことなのに、どうでも良くなってしまう。自民党が勝てば、「やっぱりね」の世界になってしまう。そして、全てが遠くにあるような幻想をつくることで政治も経済もやりたいほうだい。原発も同じやり方だ。原発の存在は多くの人が知っていた。でも、やっぱり遠くにあって、爆発してはじめて近くにあることに気づく。
その遠くにある世界を目の辺りにした多くの人が直接的に関われる社会を創りたいとの思いからつながりの世界をコミュニティや共同体というキーワードをつかって再構築しているのだと思う。

内山さんの話は多岐にわたって考えさせられるものばかりだった。ここで、全ては書けないのでわたしが彼の話を聞いて書き留めたことを箇条書きでシェアして終わりにしたいと思う。

*「人々」という概念は1700年代に誕生した。日本の場合は1900年代。
*戦争の形が剣から鉄砲へ変わる。鉄砲の玉の生産力=国家力。いつの間にか「みんな」の戦争になっていく。
*江戸時代は外との争いがないから、国力をあげて国民をつくる必要がなかった。
*「人々」という概念をつくることが支配の原理ではないか。
*最初は国がつくる国家アイデンティティーが、いつの間にか自分たちが率先して「人々」(労働者、消費者、日本人)になっていく。
*今、問題意識をもって過去を見るとヒントがうまれる。答えではない。
*未来のために。。。ではなく、過去に学び、今責任をとることが、結果的に未来の為。
*「分からない」と言えることが人の間においても協力関係、支え合いにつながっていくのではないか。
*近代社会は「分かる」世界。昔は「分からない」ことだらけ。分からないことで謙虚さを生む。


哲学の話は頭をひねる話ばかりだが、内山さんの話は頭で解決しようとするものを心(感覚)におろしていくような心地よさがあった。すごく勉強になった。

そして、何よりみなで議論し、この世界を深く考えるプロセスに大きな喜びがあった。







2013年8月2日金曜日

平等に尊く、価値ある存在

「全ての存在を意識し、感謝を送り、幸せを願います。これが、地球人としての基本的な姿勢」。

大分に住む友人、龍さんの言葉だ。素晴らしいと思う。


日本をガイドしていると、参加者からこんな↓言葉を毎日のように聞く。
「日本はなんて美しい国なんだろう。。。日本人は本当に親切だ。。。日本は水も豊富でゴミひとつ落ちていない。。。こんなに緑がたくさんあるなんて。。。日本の女性も男性も美しく凛々しい。。。日本に来ると優しくなれる。。。日本から学びたい」

とまあ、とにかくほとんどの人が「日本」と「日本人」を絶賛して帰っていく。
日本で生まれ育ったわたしも聞いてて嬉しいし、誇りに思う。そして、かれらの見解にはほぼ同感だ。何百年、何千年という月日を経て築かれてきた日本列島各地で存在する風土は実に美しいと思う。そして、この風土をつくってきた人々とこの大地に感謝と敬意を表したい。

それとは裏腹に近頃「日本人」という言葉の文脈に優越を交えるコメントをFacebookなどで目にすることが多くなった。「日本だからこそ」「日本人ならでは」「日本こそが」などという表現は国民国家という概念にしばられない時代を想像していく上でどうしても相容れない要素がある。例えば、何か課題・問題が「日本」に蓄積していたとしても、それを「日本特有のもの」にしてしまうのは、国境という枠を永続させていくことに等しい。

一概に「日本人」と言っても、その言葉が誰を指しているのかは受けてによっていろいろだと思う。選挙の話をしていれば、「日本国籍を持った人」だろうし、文化的な話をしていれば「日本で生まれ育った人」かもしれないし、歴史の話をするならば「先祖代々日本人の人」を指すのだろう。その文脈の必要に応じて「日本人」という言葉をつかうこと自体は問題ではない。

ただ、上に記したようにツアー参加者の褒め言葉は「日本」だったり「日本人」を褒めているのだけど、それはきっと自らが生きている環境や文化の中においてもそれらを取り入れていきたいという思いであって、日本(人)が他国より優れていることを発信していきたいわけではない。この地球に住む同じ人間として、地球文化をより成熟させていきたいという気持ちの現れだと思っている。

人はどこで生まれようが、親が誰であろうが、ナニジンであろうが、平等に尊く、価値ある存在。

使い古された表現だが、この時代に原点に帰りたいとの思いをこめて改めて綴る。



2013年7月24日水曜日

選挙と草刈り

参議院選挙が終わってみて思うこと。

地方議会に緑の声(平和の声)をもっと届けていきたい。その声は柔軟性のある多様性を持ち合わせた人々によって届けられるといいと思う。特に若者。
地方議会に参加することでみなが住む各々の地域から政治文化がうまれていく。正木高志さんが「リッコウホ」というプロジェクトを通して以前から発信していることだ。

日本では国政選挙は3年間ない。
三宅洋平さんが巧みに企てたように、選挙はマツリゴト。でも、毎年あるものではない。
だからこそ、日々の生活の連続から自らを磨き個々の意識を高める。そして、その個々の意識が大きくつながり文化として波を立たせ新しい時代は進行していく。

国政選挙の重要性は言う間までもないが、同時に国を超えた平和なネットワークを更に見える化していきたいという思いがある。それに向けた具体的な夢を見ていきたい。

今回の選挙では特に三宅洋平さんに様々な事を呼び覚ましてもらった。
自分の中にある志を気持ちよく肯定できる選挙期間だった。感謝。。。


そんなこんなを思いながら今日もまた終わりなき草刈りの日々。


2013年7月20日土曜日

まだ間に合う!

いよいよ明日が参議院選挙の投票日。
一昨日、わたしが住むこの町で緑の党のビラのポスティングをしてきた。
「暑い、こんな田舎で配って意味があるのか、もう結果は決まっている、、、」などなどのネガティブバイブレーションが自分の中で漂いそうになる度に本気で動いている人たちのことをおもった。よし、がんばろ。

ポスティングしたのは、この田舎でも唯一と言っていい住宅街。やっかいなことに小学生の下校時間とがっつり重なってしまい、ランドセルをしょったおチビ達が背の高い、汗だくのヒゲのおじさんを緊張した眼差しで見ていく。今後、ポスティングする時は違うメガネをかけよう。わたしのメガネは紫外線に反応して外に出るとサングラスになってしまう。これがどうやら威圧感を増大させてしまうみたい。こうなったら、笑顔だ。しかし、あんまりニヤニヤするのも良くない。。。なんてどうでも良い妄想を頭の中で繰り広げながらひたすら歩いた。ビラをポストに入れたり、手渡ししたり。
選挙権もないのになんでやるんだろう?
「選挙権があろうがなかろうが、日本列島が自分のホームであることは変わらない」と自分自身と確認する。よし、がんばろ。


夕立ちが来そうだったので、引き返すことにした。
地元産の大きなスイカが八百屋に「300円」とあったので買って帰ることにした。「このスイカ安いですね」とわたし。「食べてみて美味しくなかったら言ってね」とお店のおばちゃん(すんごく美味しかった)。彼女は言った、「日本語がとってもお上手ですね、もう長いんですか?」「はい、日本で生まれ育ったので。この町には5年近く住んでいます」。「へ〜、こんな田舎に国際人が住んじょるとは思わんかったわ〜」。ま、ここまではいつも通りというかいつものパターンだ。しかし、ここからは普段と違った。たわいもない会話から彼女が先にきりだした。「最近はここでも原発の事故のあと、移住してくる人なんかも増えたらしいわね。」へ〜、そういうことも知ってるんだ。「安部首相はまだ原発再稼働しようとしてるし、海外に輸出しようとしてるし、信じられんわ!」お〜、話がおもしろくなってきた。「こんな地震も多い国で、原発なんかいかん。政府もメディアも何も伝えない」だんだん、話がディープになってきた。「うちの旦那はね、もしもの時の為に備蓄もしとかなきゃって言ってるのよ。。。」ワオ。「ちょっと渡したいものがあるので、車にとってきます!」急いで車にあった緑の党のビラをとってきて彼女に渡した。「わたし緑の党という政党を支持していて。。。」とわたしが言うと、「あ!緑の党ね。うちの旦那もこの党が一番いいって言っちょる。じゃあうちもここにいれるけん〜」。1票獲得!

やはり、政治の基本は対話だ。対話という土台があってはじめて民主主義が成熟していく。その対話は同じ思いを共有する人とのみするものでは決してなく、常日頃から積み重ねていくものだと思う。わたし達の中にある思い込みや固定概念が実際にはつながれる多くの人とのつながりを断絶してしまうことがある。そして、このつながりは同じ政党を支持するから生まれるのではなく、この地球の上にたつ同じ人間だからこそうまれる。
だから、まだ間に合う。きっと間に合う。対話を続けよう。



2013年7月16日火曜日

mama africa

明日、大分県中津市にてトークします。
ありがたいことに満席のようです。
自らの話を聴いてもらうことを通して、この世界を皆で考えより良くしていくきっかけづくりを心がけています。トーク、ファシリテーションお気軽にご相談ください。



また起きてしまった。
アメリカで17歳のアフリカンアメリカンの少年が近くをパトロールしていた男性に射殺された。男性は雨の中フッドをかぶって歩いている少年を「怪しい」と判断し、結果彼の命を奪う惨事になってしまったのだ。

奴隷制度によって、アフリカ大陸から南北アメリカに連れてこられた人々は数百万人。アメリカ合衆国においてのいわゆる「奴隷解放」は1862年。しかし、その後もアフリカにルーツをも持つ人々は想像を絶するような差別と暴力にさらされ続けてきた。そして、奴隷解放の100年後に起こったのが公民権運動。アフリカ系の人々を中心に調和を望む幾千もの人々が国中で立ち上がり、より公平な世界に向け行動した。1963年、マーティンルーサーキングの「I have a dream」のスピーチには私の母親も含め25万人もの人がワシントンDCに集まりアメリカは変わるのだと信じた。しかし、キングをはじめ数えきれない程のリーダー達が60年代〜70年代の間に殺されていった。新しいアメリカを夢見た多くの人々が絶望にかられた。60年代以前に見られたような、あからさまな人種差別は減ったものの、制度化された人種差別はその後もアメリカを覆い尽くしていると言える。

そして、今回の事件だ。少年(Treyvon Martinさん)の命を奪った男性(Zimmerman氏)に一昨日無罪判決が言いわたされた。警察が正当防衛の名のもとにアフリカンアメリカンの男性の命を奪う事件は後を絶たない(今回のように被害者はアフリカンアメリカン、加害者はいわゆる「白人」ないしはアフリカンアメリカンではないことがほとんど)しかし、これらの事件でまともな判決が下されることは少ない。今アメリカ中で「No Justice, No peace」と憤りをあらわにした人たちが街を練り歩いている。

2011年、国東半島から祝島への平和巡礼の最中「怪しい、こわい」との通報を受けた私服警官2名がビーチで休んでいたわたしのもとへやってきたことを思い出す。平和な日本では、幸い怪しさ故に殺されることはないが、ひとりひとりの中に存在する恐怖はどこから生まれるのか。。。恐怖をもって世界が変わることはない。








2013年7月4日木曜日

高江座り込み

夏の沖縄は美しい。つくづくそう思う。

特に今はやんばる(北部)で過ごしていることもあって、昼間は川に行き、夕方は海で泳ぎ、ビーチで夕食をとるという贅沢な時間を過ごしている。
贅沢とは、心がのんびりできる状態のことを言うのではと思ったりする。
子ども達も夕涼みが大のお気に入りのようだ。
日中は何かと忙しく遊んでいる。
昨日は粘土のケーキをごちそうしてくれた「パパ!ケーキできたよ!ブルーベリーと、豚肉と、キリンのケーキ。美味しいから、食べてみて!」。。。



やんばると言えば、豊かな自然を思うのだが、それらを蝕む現実もやはり存在している。多くの方が既にご存知であるように、日本という国にあるアメリカ軍基地の約75%が沖縄に存在し、沖縄本島の約25%がアメリカ軍基地だと言われている。一概に基地と言っても、飛行場も有れば、住宅地や学校もある。そして、ここやんばるにあるのが北部訓練場ことJungle Warfare Training Center(ジャングル戦闘訓練センター)だ。訓練場自体は広大なエリアなのだけれど、この中に更に軍用ヘリコプターを離着陸できる場所を6箇所建設するという話が2007年に持ち上がり、東村高江の住民を中心とした人々が以来ゲート前で座り込みを多様な表現方法を織り交ぜ行っている。アートやオルタナティブ思想、そして反対運動が交わる高江の形は311以降日本中の脱原発運動のモデルとなったと言っても過言ではないとわたしはおもう。



座り込みに参加する人たちの思いはシンプルだ。

やんばるの豊かな自然を壊してほしくない。
平穏な暮らしを守りたい。
戦争に加担するような施設は受け入れたくない。

ありふれた言葉でしか表現できないのだが、これらの思いに共通する意識はより良い未来を残したいという意志だと思う。高江を、やんばるの自然を守ると生まれた行動は、座り込みに参加する多くの人々の意識を変え、平和を願う民は世界中へと散らばり広がっている。

国家の機能不全がいっそう顕著になっている今「平和をつくる」世界中の人々のつながりにこそ価値を想う。

やんばる 東村 高江の現状

2013年6月27日木曜日

サガリバナ





昨日、沖縄にやってきた。
以前ここに住んでいたこともあり、降り立つと「ただいま」と言いたくなる場所のひとつだ。自らのホームベースは今のところ国東半島なのだけれど、最近はいないことが多い。ほとんど仕事で動いているのだが、どこか「動かされている」要素も強いと感じる。

昨日は「おきなわスローツアー」の高野さんの案内に身を委ね首里から壺屋までの道を散策していた。ご存知の通り、那覇(首里も含め)は大きな迷路のようだ。近頃は消防車が通れるようにと戦前の小さな道も拡張されつつあるが、迷路であることには変わりない。そんな迷路好きな高野さんはそんな中でも猫のみが知る小道をすいすい歩く。



街には参議院選挙のポスター掲示版が設置され、いよいよ本番という感じ。
わたしも緑の党、そして三宅洋平さんのチラシを手に出会う人に渡している 。
とにかく、選挙に参加しよう。比例区や小選挙区など分かりにくい要素も多々あるが、1日のうち10分でいいから参議院選挙に自らがどう参加するのか考えてみよう。
投票方法についてこのサイトが分かりやすいのでリンクはっておきます↓

http://www.yoshinobu-fujiwara.com/hirei/

夜咲くサガリバナ


2013年6月23日日曜日

ちょっと梅雨らしくなってきた。
ムカデが耐えない我が家だが、雨音をききながら仕事をし、子どもたちは雨が降るが故につくられる様々な遊び場に心躍らせている。

最近友だちとおもしろい試みをはじめた。
おもしろいと言ってもただの「Book Club」。

同じ本を一緒に(各自)読んで思ったこと、感じたことを共有し合うというもの。皮肉にも大学を卒業するまでは本を読むことにあまり関心がなかった。好奇心は比較的旺盛だし、様々な活動もしていた。でも、どうも本は避けていた。
それが、15歳で日本を離れ、23歳で帰ってきてからは日本語で書かれている本に魅力を感じる。とは言っても、日々の生活におわれ本を愉しむ時間はあまりない。寝る前に本を読めば数分で寝てしまうし、昼間に読もうと思っても外の草が気になる。

そんな中友だちが「Book Club」を提案してくれた。
何事もそうであるように、物事を誰かと共有できることは喜びが増大されるだけでなく、効率もいい。1人で読むことでは得られない責任感のようなものもうまれ、学びへの意欲も増す。。。ような気がする。

インターネットを通して得る情報とはまた違い、ページをめくるという原始的な行為をもって新しい知に出逢う喜び。

図書館で絵本を大量に借りる息子。
広い畳の間にあぐらをかいて、静かにページをめくる。
そんな豊かな時間を想う。




2013年6月10日月曜日

Hilo





幸いなことに数日間ハワイ島に来ている。Walk Japanの営業の仕事だ。

仕事とはいえ、この地に脚を踏み入れたと途端すっと楽になるものがあった。
去年の7月に初めてハワイ諸島を訪れたのだけれど、あまりのインパクトに心うたれた。
雄大な大地、人々の多様な容姿、海からの風、それら全てに癒されている自分がいる。

日曜日のマーケットは大にぎわい。野菜や果物、加工品、熱々の料理、アートに音楽と楽しい時間。

火山活動が盛んなハワイ島はこうした溶岩の海岸が多い。

車で通り過ぎた墓地。日本風の(仏教)お墓もあれば、十字架もある。きっとその他の宗教のお墓もあるのだろう。そりゃそうだ、何を信じようとみな還る場所は一緒なのだから。たぶん。